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【吉祥寺】都内有数の人気を誇るベッドタウン、吉祥寺の歴史

 

休日ともなれば多くの人々が訪れる「井の頭恩賜公園」の周辺に広がり、多摩エリア有数のショッピングタウンとしてにぎわう吉祥寺は、住みたい街ランキングでもトップに入る人気の街です。

この街は江戸時代から行楽地として栄え、大正時代から住宅街として発展。戦後はショッピングの街として飛躍を遂げてきました。 今も吉祥寺には、こうした街の歴史を感じられるスポットが点在しています。

 

江戸の行楽地として人気を集め、玉川上水開通により新田集落が誕生
国立国会図書館蔵書出典:『井の頭紀行』(土岐頼旨 国立国会図書館蔵)

吉祥寺のシンボル「井の頭恩賜公園」の中心に広がる井の頭池には湧水があり、水が得やすいことから古くから人々が暮らしていました。その後、江戸時代には「神田上水」の水源ともなり、江戸の暮らしを支える重要な存在になります。こうしたことから井の頭池のほとりに建つ「弁財天」は江戸の住民から『水の神様』として信仰を集め、当時から行楽地として人気を集めていたといいます。

江戸時代、原野が広がっていた武蔵野台地に玉川上水が開通し、水が供給されるようになると、新田開発が盛んに行われるようになりました。五日市街道沿いでも新田開発が行われ、今の文京区内にあった「吉祥寺」という寺の門前に住んでいた人々が移住し開発を行ったことから、吉祥寺という地名が誕生したといわれています。

 

鉄道開通でベッドタウンとして発展
成蹊学園提供:成蹊学園

1889(明治22)年に甲武鉄道(現・JR中央線)の「新宿」駅から「立川」駅間が開通しましたが、吉祥寺には駅が設けられませんでした。1899(明治32)年に「吉祥寺」駅が開設されると、交通の利便性が向上したことから、「東京女子大学」や「成蹊学園」などの教育施設が移転し、吉祥寺は郊外の都市としての発展をはじめます。

また、明治維新後、東京府(現・東京都)の所有を経て、宮内省(現・宮内庁)の御用林となっていた井の頭池周辺の林は、大正時代に東京市(現・東京都)に下賜され、1917年(大正6)年5月1日に「井の頭恩賜公園」として開園しました。当時は、郊外型公園としては日本初、皇室御料地の下賜を受けた公園としても日本初として注目を集めるとともに、行楽地として再び多くの人々が訪れるようになりました。

 

戦後の開発でショッピングタウンに成長

昭和に入ると、吉祥寺周辺には「中島飛行機」など軍需工場が多数進出し、吉祥寺の人口は急増しました。しかし、これらの工場の多くは空襲により焼失。戦後復興期には多くの住宅団地が誕生するとともに、「吉祥寺」駅周辺には商店が集まるようになり、ベッドタウンとして都市機能が充実します。

高度経済成長期になると「吉祥寺」駅の利用客はさらに増加し、街の活気は増してきました。中央線の高架化と合わせて「吉祥寺」駅周辺の再開発が計画され、市民と行政との間で議論が交わされたのち、1964(昭和39)年に都市計画が決定。街は大きく変化を遂げることになります。

1980(昭和55)年にオープンした「パルコ 吉祥寺店」は現在でも同じ場所で営業しており、その後も、大規模ショッピング施設が続々と誕生し、現在のようなショッピングタウンに成長しました。 近年も新しいショッピング施設が誕生するなど進化を続ける吉祥寺。今後も人気が衰えることはなさそうです。

 

掲載日
2016/01/26

本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。記事の内容・情報に関しては、調査時点のもので変更の可能性があります。

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