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【三田】江戸情緒漂う邸宅街。開発が進む注目の街

 
芝浦アイランド

JR「田町」駅や都営地下鉄「三田」駅に近い三田エリアは、慶應義塾大学の三田キャンパスがあり、学生街として知られています。また、ビジネスの中心地としても発展してきました。「芝浦アイランド」周辺の整備も完了し、暮らしやすさも向上しています。

エリア内には、旧東海道や寺町として栄えた歴史を伝える史跡も点在します。江戸時代の武家屋敷の面影が残る邸宅街と、活気あふれる現代的な風景が調和する街といえるでしょう。

 

歴史ある住宅地・三田
綱坂

三田エリアの中央を占める三田二丁目は地形的に台地の上にあたり、東側の芝三丁目や北側の古川周辺の低地から坂道で登った場所にあります。こうした低地と台地を結ぶ坂道には、「綱坂」や「日向坂」など古くからの名称が残っているだけでなく、趣のある街並みを今も見ることができます。

江戸時代の三田二丁目エリアは、大名屋敷が多く置かれていた場所でした。明治以降は、これらの大名屋敷跡が富裕層の邸宅や各国の大使館として使われるようになり、現在に続く高級住宅地の礎となりました。

例えば、佐土原藩邸は三井家邸宅となり、現在、「綱町三井倶楽部」として使用されているほか、佐土原藩邸の西隣にあった旧蜂須賀侯爵邸跡地は「オーストラリア大使館」、東隣に位置する旧松平隠岐守中屋敷跡は「イタリア大使館」として利用されています。また、これらの南側にあった旧島原藩中屋敷跡地は、現在「慶應義塾大学」のキャンパスとなり、学生たちの賑わいで満ちています。

 

『旧東海道の史跡』
高輪大木戸跡

三田エリアを通る国道15号・第一京浜は、江戸時代に整備された旧東海道のルートをたどります。

JR「田町」駅前にある「三菱自動車本社」付近には、かつて、薩摩藩の蔵屋敷が広がっていました。

この屋敷は、幕末に西郷隆盛と勝海舟の会談の会場となり、江戸開城をめぐる交渉が行われたという歴史的に重要な場所でもあります。

「田町」駅を過ぎ、さらに南へ進むと、まもなく「札の辻」交差点に出ます。この「札の辻」という名は江戸時代に高札場があったことから名付けられた、長い歴史を持つ地名です。また、ここには「芝口門」という門が設けられ、江戸への出入口として機能していました。

その後、「芝口門」は、高札場とともに南へ700mほど移転し、現在の「泉岳寺」駅前に「高輪大木戸」が造られました。「高輪大木戸跡」には、現在も石垣が残り、石碑や案内板が設けられています。

旧東海道は拡幅されているため当時の面影は少ないものの、点在する史跡を訪ねれば、江戸の香りを感じることができるでしょう。

 

江戸時代の風光明媚な高台
御田八幡神社

第一京浜と桜田通り、魚藍坂などに囲まれた高台にあたる三田三丁目、四丁目付近は「三田台」ともよばれ、江戸時代は、高台からの月の眺めが美しいことでも有名で、歌川広重の「名所江戸百景 月の岬」にも描かれるほど風光明媚な場所として人気を集めていたといいます。

また、この一帯は、多くの寺社が集まる「寺町」になっています。「更級日記」に登場する竹芝伝説の舞台となった「竹芝寺」の跡地にあたる「済海寺」や、本尊が「魚籃観世音菩薩」に由来し、近くの坂の名にもなった「魚籃寺」といった古刹に加え、709(和銅2)年創建といわれる歴史ある「御田八幡神社」などがあり、歴史を訪ねて歩くのも楽しみとなることでしょう。

明治時代になると、この付近には「華頂宮邸」や「高輪東宮御所」など、皇族の邸宅も設けられました。「華頂宮邸」の跡地は現在「亀塚公園」となり屋敷の塀が残されています。また、「高輪東宮御所」は現在も高松宮邸として利用されています。

 

『慶應義塾の三田での歴史』
慶應義塾大学 三田キャンパス

三田二丁目は、「慶應義塾大学」の三田キャンパスをはじめ、「慶應義塾中等部」や「慶應義塾女子高校」がある、慶應義塾の街としても知られています。慶應義塾は中津藩士だった福沢諭吉が、現在の中央区にあった中津藩下屋敷内に蘭学塾を開いたことがきっかけとされています。

この蘭学塾は、明治維新後、島原藩中屋敷跡地の払い下げを受け、現在の三田キャンパスの位置に移転しました。1920(大正9)年には大学令による日本初の私立大学として再出発、文学・経済学・法学・医学の4学部が開設されていました。

その後、日吉キャンパスや矢上キャンパス、信濃町キャンパスなどができましたが、三田キャンパスは慶應義塾大学の本部所在地であり、「三田演説館」や「慶應義塾図書館旧館」といった重要文化財にも指定されている歴史的建造物は、三田エリアのシンボルとなっています。現在、三田キャンパスでは、文学部や経済学部、法学部、商学部の学生が学び、周辺には学生街らしい活気があふれています。

 

芝浦の歴史と現在
芝浦アイランド

江戸時代、三田周辺の海岸線は現在のJR線のあたりにあり、芝浦はその地名の通り、芝に隣接する遠浅の海でした。この芝浦の名物が、芝という地名に由来する「芝海老」で、そのほか穴子、海苔など、江戸前の魚介の好漁場だったといいます。

明治末期から昭和初期にかけての埋め立てによって、この付近は東京の海の玄関口として機能するようになります。

1932(昭和7)年には外国・国内の貨物船専用桟橋である芝浦桟橋(現在の芝浦ふ頭)が完成、大型船の就航が可能になり、1941(昭和16)年には、東京港が開港され、戦後には国際貿易の一翼を担う場所となりました。

一方で、明治から昭和初期にかけては、風光明媚な観光地・歓楽地としても賑わったことから、現在も昭和レトロな雰囲気の橋や建物が残っています。

高度経済成長期以降、三田エリアはオフィス街として発展し、近年は、再開発によって「芝浦アイランド」も誕生するなど成長を続けています。

また、2007(平成19)年策定の「田町駅東口北地区街づくりビジョン」に基づき「田町駅東口北地区土地区画整理事業」も進められました。これまで2014(平成26)年にスポーツセンターや総合支所などを備えた公共施設「みなとパーク芝浦」、2015(平成27)年に「愛育病院」、土地区画整理に伴って移転、整備された「芝浦公園」も2016(平成28)年に開設されました。

東京ガス、三井不動産、三菱地所が共同で進めていたJR「田町」駅直結のオフィス・商業施設の複合開発を行う「(仮称)TGMM芝浦プロジェクト」は、「msb Tamachi(ムスブ田町)」として2018(平成30)年に竣工。オフィス・商業ビルの「田町ステーションタワーS」と、ホテル「プルマン東京田町」が開業しました。そして2020(令和2)年に「田町ステーションタワーN」の竣工をもって街区全体が完成し、駅前を中心にさらに利便性が高まりました。

掲載日
2019/07/30

本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。記事の内容・情報に関しては、調査時点のもので変更の可能性があります。

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