【横浜】港町横浜の歴史と発展を訪ねて歩く
横浜の街は、江戸時代末期に開港されたことから大きく発展を遂げました。今も横浜には開港からの歴史を感じられる建造物が点在しています。こうした歴史を訪ねて散策するのも横浜の街をより深く知ることができるでしょう。
横浜の街は、1858(安政5)年に日米修好通商条約が締結されたことを期に発展してきました。現在も、開港から現在に至る歴史を感じられるスポットが点在し、横浜の魅力になっています。開港当時に設けられた外国人居留地はその後、拡充されることになりました。
この時に、日本初の西洋式公園である「横浜公園」から横浜初の波止場「象の鼻地区」を結ぶ通りとして造られたのが「日本大通り」です。1870(明治3)年に完成したこの通りは36mという広い幅で整備され、1875(明治8)年に日本大通りと命名されています。現在、日本大通り沿いにはおしゃれなカフェやレストランも点在し、横浜でも人気のスポットとなっています。
この「日本大通り」沿いの建物は、横浜港に入港する船員たちの目印ともなり、いつしか「横浜三塔」と呼ばれるようになりました。キングの塔とされているのが「神奈川県庁」で五重塔をイメージさせるデザインが特徴です。
クイーンの塔と呼ばれているのは「横浜税関」でイスラム寺院風のエキゾチックなドームを持っています。ジャックの塔は「横浜開港記念会館」で東南隅に時計塔、西南隅に八角ドーム、西北隅に角ドームがそれぞれ建っています。この「横浜三塔」を1日で巡ると願いが叶うという伝説も生まれるなど、今も横浜のシンボルと親しまれています。
明治以降、横浜港は、ここから当時の日本の主力輸出品であった生糸や茶の輸出、綿織物と毛織物の輸入の拠点となり、大きく発展していきました。こうした貿易の取引を円滑にすることを目的に1880(明治13)年に開業した銀行が、「東京銀行(現在の三菱UFJ銀行)」の前身とされる「横浜正金銀行」です。
この銀行は、横浜港の発展とともに世界三大為替銀行の一つに数えられるまでに成長し、1904(明治37)年には「横浜正金銀行本店」の建物も完成しました。戦後、「横浜正金銀行」は「東京銀行横浜支店」となっています。
ネオバロック様式と呼ばれる「東京銀行横浜支店」の建物は横浜港発展の歴史を伝える貴重なものであることから、1964(昭和39)年には神奈川県が買収、この歴史的建造物を利用して1967(昭和42)年に「神奈川県立博物館」が開館ました。
現在、「神奈川県立博物館」では、「かながわの文化と歴史」をテーマとして、神奈川県の先史から現代までの資料が多数展示されています。横浜開港の歴史を知ることができるコーナーもあり、横浜散策の折に見学してみるのも興味深いでしょう。
開港当初の横浜には船舶が着岸できる岸壁がありませんでした。そこで、明治政府は本格的な岸壁を整備することになり、1894(明治29)年にまず「鉄さん橋(現・大さん橋の前身)」が完成。さらに、外国貿易の発展に伴う取り扱い貨物の急増に対応するため、東洋初の接岸式ふ頭として「新港ふ頭」が造られました。この「新港ふ頭」の倉庫として造られたのが「赤レンガ倉庫」です。
「赤レンガ倉庫」は輸出入の拠点として重要な役割を担っていましたが、昭和40年代以降になると、海上輸送のコンテナ化が急速に進み「赤レンガ倉庫」の取扱貨物量は減少を続け、1989(平成元)年、ついに倉庫としての使命を終えることになります。
「赤レンガ倉庫」は港町・横浜のシンボルとして親しまれていたことから、横浜市により改装されることになり、2002(平成14)年にホールや展示スペース、レストランやショップなどとして再スタートを切りました。現在、「赤レンガ倉庫」ではさまざまなイベントも開催され、多くの人々が楽しむ場になりました。
- 掲載日
- 2015/10/08
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