【小石川・小日向】高台にゆたかな緑を残す、歴史薫る閑静な文教エリア
江戸時代に武家屋敷が多く置かれていた小石川・小日向エリアは、今も趣のある街並みが広がり、穏やかに暮らせる場所です。古くから大学のキャンパスなど教育機関が集まり、文教の街としても発展してきました。
一方で、このエリアには4本の地下鉄路線が集まっていることから、都心の多くのエリアにダイレクトで行くことができる便利さもあります。小石川・小日向エリアは、暮らしの利便性と恵まれた環境の両方を享受できる貴重な場所といえるでしょう。
文京区のほぼ中央部に位置する小石川・小日向エリアは、江戸時代、武家屋敷が多く造られました。明治維新後、これらの武家屋敷は、都心に近く環境に恵まれていたことから、高級住宅街に生まれ変わります。今もエリアのあちこちに広い敷地を持つ屋敷が点在しています。
現在、武家屋敷の一部は公園・緑地になりました。「小石川後楽園」もその一つで、江戸時代は水戸徳川家の上屋敷として使われていました。園内の庭園は初代水戸藩主である徳川頼房が築いた日本庭園を、徳川光圀が改修し完成したものです。徳川光圀の趣向から、中国の意匠を取り入れられ、和の風情の中に異国情緒を感じることもできます。現在この庭園は、国の名勝、史跡に指定され、美しい庭園を今も楽しむことができます。
小石川・小日向エリアには、他にも「傳通院」など徳川家とのゆかりが深いスポットが点在しています。「傳通院」は、室町時代の創建と伝えられる浄土宗の寺で、創建当時は「寿経寺」といい、現在の場所とは少し離れた小石川四丁目にあったといわれています。1602(慶長8)年、徳川家康の母が没したのち、遺骨を現在の「傳通院」が建つ場所に埋葬することになりました。同時に、「寿経寺」をここに移転、「傳通院」と名を改めました。以来、「傳通院」の境内には徳川家由縁の廟所が設けられるようになります。こうした場所を訪ね、気軽に歴史散歩ができるのも、小石川・小日向エリアの魅力のひとつといえるでしょう。
一方で、都心部にあることから交通の便もよく、「茗荷谷」駅や「後楽園」駅、「春日」駅などが利用可能です。東京メトロ丸ノ内線や都営地下鉄大江戸線、都営地下鉄三田線などを利用して、「東京」駅をはじめ、「大手町」駅や「銀座」駅、「新宿」駅など、都内の主要ターミナルにダイレクトアクセスできます。
小石川・小日向エリアでは、明治時代以降に文豪や政財界人など著名人も数多く暮らすようになりました。
永井荷風もその一人で、現在の春日一丁目で生まれ、少年から青年期の多くを過ごしました。当時の暮らしぶりは、荷風の作品にも登場しています。
幸田露伴も小石川ゆかりの小説家です。露伴は1924(大正13)年に現在の小石川三丁目に移り住み、1945(昭和20)年に疎開するまで長い間暮らしました。また、幸田露伴の次女、幸田文も戦後この地に移り住み、1990(平成2)年に亡くなるまで暮らしていました。
五千円札の肖像にもなっている新渡戸稲造も文京区に居を構えていました。札幌農学校に勤めていた新渡戸は、1901(明治34)年に台湾総督府の技師になり、帰国後1903(明治37)年から小石川に暮らすようになります。現在、新渡戸が暮らした家は「新渡戸稲造旧居跡」のプレートが掲げられています。
また、日本の近現代政治に大きな影響を与えている鳩山家の住居も文京区内の音羽にあり、現在は「鳩山会館」として貴重な洋館の内部などを見学することができます。
このエリアでは、「文京シビックセンター」の北、白山通り、春日通り、千川通りに挟まれた約2.6ヘクタールを対象に、「春日・後楽園駅前地区第一種市街地再開発事業」が行われています。
この再開発では対象地域を南街区、北街区、西街区に分け、それぞれ地上23階地下2階、地上40階地下2階、地上13階地下1階のビルが整備され、新しい街区名として「文京GARDEN(文京ガーデン)」と決まりました。こちらの再開発により、小石川・小日向エリアの暮らしがさらに便利で快適に進化すると期待されます。
小石川・小日向エリアは、都心に近い場所にありながら、豊かな緑に恵まれた場所です。小石川の緑といえば「小石川植物園」がその代表的存在です。ここは江戸幕府が開いた「小石川御薬園」が発祥で、明治維新後、東京大学の施設となりました。園内は一般公開され、貴重な植物に出会える場所として親しまれています。
「小石川植物園」の西にある「教育の森公園」は、かつて東京教育大学(現在の筑波大学)のキャンパスがあった場所です。 「教育の森公園」付近には、徳川光圀の弟である松平頼元の屋敷の庭園だった「占春園」や、文京区の姉妹都市であるカイザースラウテルン市にちなんでヨーロッパの都市広場をイメージした「窪町東公園(カイザースラウテルン広場)」など公園や緑地が集まっています。
「教育の森公園」の南側には「播磨坂さくら並木」が伸びています。ここには桜の木が150本も植えられ、花見の名所としても有名です。折に触れて、小石川・小日向の緑を訪ねれば、季節の移ろいを肌で感じることができるでしょう。
小石川・小日向周辺には、「東京大学」のキャンパスをはじめ多くの教育施設があり、国内でも有数の文教エリアとして知られています。小石川・小日向の文教エリアとしての歴史は古く、江戸時代にはすでに江戸における学問の拠点になっていました。そのひとつが「湯島聖堂」です。
本来は孔子廟として造られたこの施設は、建設から100年経った1797(寛政9)年に、幕府直轄の学校「昌平坂学問所」が置かれることになります。以来、当時の学問の最高峰として多くの人々が通っていました。
明治維新後、「昌平坂学問所」の跡地には、「東京師範学校」、「東京女子師範学校」が置かれました。やがて「東京師範学校」、「東京女子師範学校」は現在の「筑波大学」、「お茶の水女子大学」の源となっていきます。
一方、明治維新以降、教育にも西洋に習い、近代的な大学を設立することになりました。こうして1877(明治10)年に誕生したのが「東京大学」です。1885(明治18)年には、現在の東京大学本郷キャンパスに移転が完了し、文京区は文教エリアとしての役割を増していきました。
今も小石川・小日向エリア内および周辺には、「東京大学」「お茶の水女子大学」をはじめ、「拓殖大学 文京キャンパス」「国際仏教学大学院大学」「東京学芸大学附属竹早小学校」など、各大学のキャンパス、附属校などが集まり、将来を担う若者たちが学ぶ場ともなっています。
- 掲載日
- 2020/05/29
本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。記事の内容・情報に関しては、調査時点のもので変更の可能性があります。