【成増・光が丘】再開発で進化を遂げた暮らしやすい街。歴史の面影が残るスポットも魅力
古くから栄えた「成増・赤塚」と、高度経済成長期以降の再開発によって誕生した新しい街「光が丘」という二つの顔を持つ成増・光が丘エリアは、歴史や伝統に培われた落ち着いた街並みと、計画的に街づくりが行われた地区ならではの暮らしやすさが共存しています。
東武東上線や東京メトロ有楽町線・副都心線、都営地下鉄大江戸線など交通アクセスにも恵まれ、「都立光が丘公園」や「都立赤塚公園」といった緑豊かなスポットだけでなく「乗蓮寺」、「赤塚氷川神社」など歴史を感じるスポットも多く、見どころが多いことも魅力です。
東武東上線「成増」駅前は、古くから商業の街として発展してきました。今も多くのショッピング施設があり、地域の人だけでなく近隣エリアに暮らす人の買い物の場としても頼りにされています。
なかでもにぎわっているのは、東武東上線「成増」駅と東京メトロ「地下鉄成増」駅の間に広がる「なりますスキップ村(成増商店街)」です。
ユニークな名前は、安全で(Safety)、親切で(Kindness)、面白い(Interest)を基本理念に、楽しい(Pleasure)商店街を目指して付けられたもので、さまざまなジャンルの店が並ぶ商店街はその名の通り、スキップしたくなるような空間です。
また、「成増」駅北口の再開発ビル「ACT」にある24時間営業の「西友 成増店」をはじめ、「地下鉄成増」駅から徒歩1分の「マルエツ 成増南口店」、お買い得感で人気の「業務スーパー 成増店」など、スーパーマーケットも点在しています。
生活に必要な品物が何でもそろうこの街には、今日も大勢の買い物客が訪れています。
東武東上線「成増」駅の北口一帯は、近年の再開発により、街の姿が一変しました。
最初に再開発が行われたのは、「成増」駅の北口のすぐ前にあたる「成増駅北口地区」です。
「成増駅北口地区」では約1.3ヘクタールの再開発エリア内に二つの再開発ビル「ACT」が造られ(1990(平成2)年竣工)、ビル内にはスーパーマーケット「西友 成増店」のほか、コンサートなどが開催される約470席のホールを持つ「成増アクトホール」も設けられました。
また同時に、駅前広場や駅に直結するペデストリアンデッキも整備されました。
続いて、その北西に隣接する「成増駅北口第二地区」の再開発が行われ、約0.56ヘクタールの再開発エリアに、店舗や住宅などが入る再開発ビル「アリエス」1棟が建設されました。この第二地区の再開発は1997(平成9)年に完了し、「板橋区立成増図書館」や「成増アートギャラリー」などの公共施設も整備されました。
こうした再開発によって、「成増」駅前エリアは、さらに便利に暮らしやすい街へと進化を遂げました。
板橋区の西部にあたる成増・赤塚などを含むエリアは、かつて「武蔵国豊島郡赤塚郷」と呼ばれていました。
当時のこのエリアの中心地は、現在の板橋区赤塚にあった「赤塚城」周辺だったといわれており、現在その跡地は「都立赤塚公園 城址地区」として、「赤塚公園」の敷地の一部となっています。
今もこの周辺には、赤塚城主の千葉氏の菩提寺「松月院」など、長い歴史を誇る古刹や、赤塚城主千葉氏が勧請したと伝えられる「赤塚氷川神社」があり、当時の栄華を感じさせてくれます。
現在のこのエリアは、文化施設が多く集まっていることが特徴です。
「板橋区立美術館」は江戸時代の狩野派の作品を多く集めることで知られ、万葉集に詠まれた植物を見学できる「板橋区立赤塚植物園」など、注目のスポットも多くあります。
そのほか「板橋区立赤塚図書館」や「板橋区立郷土資料館」などもあり、地域の人々に愛されています。
成増エリアは鉄道路線が多く、すぐれた交通利便性を持つエリアです。
このエリアの最初の鉄道は、1914(大正3)年開通の東上鉄道(現:東武東上線)でした。開通と同時に「成増」駅も開設され、以来、長らくこのエリア唯一の駅として重要な役割を果たします。
1983(昭和58)年、営団地下鉄(現・東京メトロ)有楽町線が「池袋」駅から延伸して「営団成増(現・地下鉄成増)」駅が開業し、このエリアに新たな玄関口が加わりました。
その後、1987(昭和62)年には「営団成増」駅から「和光市」駅も開業し、東武東上線との直通運転も開始されています。
2008(平成20)年には東京メトロ副都心線が開通し、「地下鉄成増」駅から「新宿三丁目」駅や「渋谷」駅に乗り換えなしで行けるようになったほか、2013(平成25)年には副都心線と東急東横線の直通運転も始まり、成増エリアの交通アクセスは、非常に便利になりました。
「光が丘」にはかつて、「成増陸軍飛行場」がありました。幅60m、長さ1,200mの滑走路を持つこの飛行場は、第二次世界大戦後、米軍に接収され「グラントハイツ」と名付けられた家族宿舎となります。
1973(昭和48)年、この敷地は全面返還され、跡地を再開発して住宅や公園などを建設することになりました。それが現在の光が丘エリアです。
返還された敷地の半分は公園とすることが決まり、1977(昭和52)年「都立光が丘公園」の建設工事が始まりました。
1981(昭和56)年に開園を迎え、バーベキューやスポーツも楽しめる緑豊かな公園として、現在も多くの人々でにぎわっています。
続いて1983(昭和58)年には、都営住宅や公営住宅の入居が開始され、小学校や保育園も開設されました。
住宅や教育施設を計画的に配置した光が丘の街は暮らしやすいと人気を集め、現在も次々と住宅が建設されています。
このエリアの中心的施設として造られたのが、ショッピングセンター「光が丘IMA」です。現在は「リヴィン光が丘店」と「イオン練馬店」の2店を核に、130を超える専門店が集まっており、身の回りの品物が何でもそろう便利さが好評です。
1991(平成3)年には、都営12号線(現・都営地下鉄大江戸線)が開通し、その始発・終着駅として「光が丘」駅が開業したことで、交通事情も飛躍的に向上しました。
現在は「新宿」駅へ直通約24分、しかも座って通勤できるという点も、光が丘が人気を集める理由となっています。
- 掲載日
- 2021/11/25
本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。記事の内容・情報に関しては、調査時点のもので変更の可能性があります。