【たまプラーザ・美しが丘】住みたい街上位をキープするたまプラーザ・美しが丘、その発展の歴史
住宅地として人気の高い東急田園都市線沿線でも、「たまプラーザ」駅周辺に広がる美しが丘地区はとくに根強い人気を誇ります。この地区は東急電鉄を中心に計画的なまちづくりが行われたことから、美しい景観と暮らしの利便性を併せ持つ街が誕生しています。開発から50年を迎えたこの街の歴史を振り返り、その人気の秘密を探ってみました。
美しが丘地区は東急電鉄を中心に開発された東急多摩田園都市の一角にあります。きっかけとなったのは1953(昭和28)年に当時の東急電鉄の会長であった五島慶太氏により発表された「城南西地区開発趣意書」でした。
そこで五島慶太氏は、東京都から少し離れた郊外にイギリスの田園都市構想を参考にした、理想的な街づくりを模索します。調査の結果、東京都の城南西地区から川崎市の宮前地区と、横浜市北部の「大山道」の沿道一帯を計画地とし、発表されたものが「城西南地区開発趣意書」でした。
これは、エベネザー・ハワードがイギリス・ロンドン郊外のレッチワースで実現した、自然と共生する緑豊かな都市を建設しようとする「田園都市構想」に着想を得たものです。
美しが丘地区では1963(昭和38)年から開発が始まります。自動車と歩行者のルート分離した「ラドバーン方式」や住宅地内の自動車の通り抜けができない街区にする「クルドサック方式」という先進的な手法が取り入れられ、その後の東急多摩田園都市のまちづくりのモデルケースとなりました。
また、美しが丘地区の開発では、通り沿いに並木が植えられました。この並木は街とともに成長を続け、現在では美しい並木道となって通り抜ける人々の目を楽しませてくれます。こうした環境から、美しが丘地区では住民の景観に対する意識が高いといわれ、今も住民ボランティアが並木道を手入れするなどの活動が盛んに行われています。
東急多摩田園都市の開発では交通アクセスやショッピング施設の整備も行われました。多摩田園都市のアクセスを担う東急田園都市線は1966(昭和41)年に「溝の口」駅から「長津田」駅間が開通し、「大井町」駅までダイレクトでアクセスできるようになりました。
1977(昭和52)年には東急新玉川線(現・東急田園都市線「渋谷」駅から「二子玉川」駅間)の開通により、東急田園都市線は「渋谷」駅への乗り入れを開始。1978(昭和53)年からは営団地下鉄半蔵門線(現・東京メトロ半蔵門線)との直通運転が始まり、東京都心部にも直結されるようになっています。
美しが丘地区の最寄り駅となる「たまプラーザ」駅前には、1982(昭和57)年に「たまプラーザ東急百貨店(現・東急百貨店たまプラーザ店)」がオープン。美しが丘地区はショッピングタウンとしてもにぎわうようになりました。
その後も、時代に合わせて都市インフラの再整備は続けられ、2010(平成22)年には「たまプラーザテラス」が全面開業。美しが丘地区は現在も暮らしやすい住宅地として人気を集めています。
- 掲載日
- 2016/11/30
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