【経堂】「世田谷城」の城下町として発展、商業の街として栄えた経堂の歴史
小田急小田原線の「経堂」駅周辺に広がる世田谷区経堂は、閑静な佇まいと暮らしの利便性を兼ね備えた住宅地として人気を集めています。この地は古くから「世田谷城」の城下町として発展し、街には歴史を感じられるスポットが点在しています。
経堂という地名は「経堂」駅前に建つ「経堂山福昌寺」に由来する、という説があります。このお寺は江戸時代の初め、この地を治めていた松原土佐守弥右衛門が屋敷の中に堂を建てたことが始まりとされています。松原土佐守弥右衛門は徳川幕府に仕えていた医者で、多くの書物を持っていましたが、近所の人々はこれらの書物を経本と思い込んでいたため、新たに建てられた堂を経堂と呼ぶようになったと伝えられています。
一方で、古くから経堂の鎮守として信仰を集めてきた神社が、今の経堂四丁目に建つ「天祖神社」です。この神社は1507(永正4)年に建てられたと伝えられています。当時、経堂周辺は北条氏に仕えた源氏の名門の家柄であった、吉良家の領地でした。源頼朝は「伊勢神宮」を崇拝し、「伊勢神宮」に収める米を作る水田を寄進していました。
こうした縁により、天照大神を祀る「天祖神社」が関東地方一円に建てられたと考えられています。現在も豊かな社叢が残るこの神社では初詣や例大祭など季節の行事が行われ、多くの参拝客が訪れます。
江戸時代になると「玉川上水」から分水が引かれ、水利に恵まれた経堂周辺は農村として発展を遂げました。経堂の暮らしを支えた「品川用水」の跡に整備された道路が千歳通りです。現在は桜並木と玉石垣がある風情豊かな道路になり、春には訪れる人々の目を楽しませてくれます。
1927年(昭和2)年には小田急小田原線が開通、「経堂」駅が開業しました。駅前は商業施設でにぎわい、周辺に学校が多いことから、通勤・通学客が多く利用しています。
戦国時代、関東地方を支配していた北条氏は今の豪徳寺にあった「世田谷城」に近い世田谷新宿に楽市を開きました。これは市場税を取らず、自由に売買ができる市で、一と六の日に開かれていたことから「六斎市」とも呼ばれ、大いににぎわっていたそうです。
江戸時代になって「江戸城」が開かれると、「世田谷城」は廃され、「六斎市」は徐々に衰えていきました。その後は、年に1回、年の暮れに歳の市が開かれるようになりました。
明治時代になると古着の扱いが増え、歳の市はいつしか「ぼろ市」と呼ばれるようになります。「ぼろ市」は年明けにも開かれるようになり、現在は毎年12月15・16日、1月15・16日に開催されています。期間中はぼろ市通り沿いに多くの店が並び、遠方からも買い物客が集まります。
戦後、ベッドタウンとして急速に発展を遂げた経堂の街では、商店も増えてきました。とくに「経堂」駅周辺には多くの店が集まり、駅の南北に商店街が形成されます。1963(昭和38)年には「経堂」駅北口に広がる「経堂すずらん商店街」が世田谷区内初となる法人化を成しとげます。現在も「経堂すずらん商店街」には多彩な店が並び、春と秋には「すずらん祭」と名付けられたイベントも開催され、特売や音楽のステージなどの催しが行われています。
また、「経堂」駅南口の「経堂農大通り商店街」の前身となる「経堂農大通り商店街振興組合」も1948(昭和23)年に発足しています。現在、「経堂農大通り商店街」には150を超える店舗が並び、「経堂まつり」など数多くのイベントも行われています。
「世田谷城」を築いた吉良氏は、足利氏の支族で、足利長氏と義継の兄弟が三河吉良荘(現在の愛知県西尾市付近)を東西に分けて治めたことが始まりとされています。義経を祖とする東条吉良氏の吉良定家は、南北朝時代の1345(興国6)年に奥州管領の一人となります。その後、関東に領地を得たことから、世田谷にあった居館を整備し「世田谷城」が形成されました。「世田谷城」は台地の上に築かれ、烏山川が三方を囲むように流れていたそうです。
北条氏が関東に進攻してくると、吉良氏は北条氏の勢力下に入ります。1590(天正18)年、豊臣秀吉の「小田原攻め」により北条氏が滅亡すると、吉良氏も所領を失い、「世田谷城」は廃城となりました。廃城となる以前、1480(文明12)年に吉良政忠は「世田谷城」内に伯母の菩提のため「弘徳院」を建立しました。これが今の「豪徳寺」のはじまりです。
江戸時代になると現在の世田谷周辺は彦根藩世田谷領となり、彦根藩主であった井伊直孝が大檀那となりました。井伊直孝の没後、その法号から「弘徳院」は「豪徳寺」と改められ、井伊家の菩提寺となりました。その後、井伊直孝の娘、掃雲院により多くの堂舎が建てられています。
「豪徳寺」は招き猫発祥の地としても知られています。井伊直孝がこの付近で鷹狩りを行っていた際、1匹の猫を見かけ、招き寄せているように感じたことから門内に入ったところ、急に天候が悪化し、雨を避けることができただけでなく、和尚の法話を聞けたことからいたく喜んだという言い伝えがあります。
現在、「豪徳寺」には招猫観音を祀った「招福殿」があり、「招福猫児」と名付けられた招き猫が販売されているほか、境内には多くの招き猫が並び、観光スポットとしても人気を呼んでいます。
- 掲載日
- 2017/12/28
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