【神楽坂】新旧の魅力に彩られた情緒漂う街
街並みに品があり、歴史漂う情緒ある街。それが東京都千代田区と新宿区の境界付近にある、外濠の北側エリアです。エリアの中心には外濠の水と緑が、神楽坂の路地には歴史の面影を感じることができる情緒漂う街並みがあり、散策にもうってつけの街として知られています。
また、周辺にある「飯田橋」駅や「市ヶ谷」駅、「神楽坂」駅から多くの電車の路線を利用できるため、アクセス利便性も抜群。数々の魅力に彩られたエリアといえるでしょう。
外濠を挟んで千代田区と新宿区が神楽坂エリアと接しています。外濠の遊歩道沿いには桜並木が連なっており、春には水辺にはらはらと桜が散る美しい景色を見ることができるなど、都心にありながら季節の移ろいを感じられるエリアとしても知られています。
また、JR中央・総武線「飯田橋」駅から北西に延びる神楽坂から少し路地に入ると、石畳に趣のある料亭が並ぶ、隠れ家的な街並みが広がっています。このエリアは、大正時代には花街としても賑わいました。
今も外濠の北側には納戸町や払方町、細工町、箪笥町、砂土原など、古くから受け継がれた地名が住所として残っています。長い歴史に育まれた情緒が漂う街並みを、当時の面影を感じながら散策するのも楽しいひと時になるでしょう。
この神楽坂は、「江戸名所図会」によると付近の神社の祭礼の神楽が街に鳴り響いていたことからその名が付いたと記されています。このように江戸時代から栄えていた神楽坂は、今も人々を惹きつける魅力にあふれた街が広がっています。
神楽坂周辺の情緒漂う街並みは、多くの文人からも愛されてきました。
例えば、明治時代に活躍した小説家・尾崎紅葉。1891(明治24)年以降、晩年を神楽坂に隣接した牛込区(現・新宿区)横寺町、現在の都営大江戸線「牛込神楽坂」駅近くの家で過ごし、この頃に書いたのが日清戦争後の社会を背景とした恋物語、『金色夜叉』です。尾崎が暮らした家は戦災で焼失してしまったものの、当時の旧居跡は史跡として保存されています。
この尾崎紅葉に師事した小説家、泉鏡花もまた神楽坂近くに暮らしていました。鏡花の家は、尾崎紅葉旧居跡から西へ向かった南榎町にあり、神楽坂の芸妓と暮らしていたといいます。鏡花が4年暮らしたこの家の跡は、現在、新宿区の登録史跡となり、案内板が掲示されています。
牛込区で生まれ牛込区で没したゆかりの文豪が夏目漱石です。神楽坂にも、漱石が通ったといわれる老舗が近年まで残っていました。「漱石公園」は、1907(明治40)年以降、漱石が亡くなるまで暮らした「漱石山房」の跡で、漱石の銅像や漱石の足跡を展示した「道草庵」などがあります。
ほかにも与謝野晶子や坪内逍遥、島村抱月など神楽坂ゆかりの文人は多く、彼らの面影を訪ねて歩くのも、このエリアの楽しみになるでしょう。
神楽坂エリア周辺では、江戸時代の歴史や文化を体験できるスポットがたくさんあります。
市ヶ谷と神楽坂の間に伸びる外濠は、二重に巡らされた江戸城の堀の外側の部分を占めています。明治維新後、外濠の一部は埋め立てられましたが、神楽坂付近では今も水を湛えた堀を見ることができます。外濠沿いには桜並木があり、春には花見の名所として多くの人で賑わいます。
江戸城を築いた徳川家康が開基したと伝えられる寺が、神楽坂のちょうど中間地点にある「毘沙門天 善国寺」です。この寺は、江戸三毘沙門として信仰を集め、大いに賑わったといいます。現在も御開帳の日には多くの参拝客が訪れます。
神楽坂周辺には日本文化に触れられるスポットもあります。「矢来能楽堂」は東京都内の能楽堂としては2番目に古い建物で、能の公演などに利用されています。茶道の家元である裏千家の拠点である「今日庵 東京道場」と「東京茶道会館」も神楽坂近くにあります。
神楽坂のシンボルともいえる「神楽坂通り」には、老舗から新進の店まで多数の店が並び、賑わいに満ちています。神楽坂はこの「神楽坂通り」を中心に、さまざまな通りが延びています。このエリアの魅力は、この“路地”にあると言っても過言ではありません。これらの路地にはたくさんの店が建ち並び、「〇〇横丁」という名前が付けられています。
では、「神楽坂通り」から路地に入ってみましょう。飯田橋方面から「神楽坂通り」を歩いてきて最初に右手に延びる大きめの通りが「神楽坂仲通り」。「神楽坂仲通り」を北に進んで行き、左手に延びる路地が「芸者新道」、「かくれんぼ横丁」です。この辺りは明治時代に花街として栄え、「芸者新道」は芸者が近道として利用することが多かったから付いた名前だそうです。
「かくれんぼ横丁」は、花街にお忍びでやって来た要人が、後を付けられても路地に入ってしまえば身を隠せることから名付けられました。美しい黒板塀に挟まれて石畳が延び、今も花街の面影が残ります。この通りには老舗の料亭も多いですが、店内はモダンにリノベーションされたフレンチやイタリアンの店もあります。リーズナブルにいただける店も多いので、ランチ時にも多くの人が訪れます。
「神楽坂通り」に戻ってさらに神楽橋方面に歩き、「毘沙門天 善国寺」の少し手前の道を右手に折れると、神楽坂最大の横丁「本多横丁」です。この近くに江戸時代の武家であった本多家の屋敷があったことからその名が付いたと言われています。
その他にも神楽坂には、外濠にあった河岸から荷物を運ぶ「軽子」がこのあたりに住んでいたことから名付けられた「軽子坂」や、かつての鎌倉古道の一部と伝えられ、この付近の路地では最も古い道である「兵庫横丁」など、多くの路地があります。神楽坂の路地を散策すれば、きっと新たな発見があることでしょう。
もともと料亭の多かった神楽坂は、今も美食の街として知られており、有名店がたくさん存在しています。「うを徳」は、今も残る老舗の料亭で、明治時代の小説家、泉鏡花の小説「婦系図」の魚屋のモデルにもなったといわれています。
ウナギの名店として知られる「たつみや」。1948(昭和23)年の創業以来、継ぎ足しながら使い続けてきた秘伝のタレは、ウナギの風味を最大限に引き立てます。
神楽坂は和食だけではなく、フレンチの名店が多いことも特徴です。素材の美味しさを丁寧に引き出した正統派のフレンチを、肩肘張らずにいただける「ラ・マティエール」は、神楽坂の名店として高い評価を得ています。
その他にも「ラ・トゥーエル」や「ルグドゥノム ブション リヨネ」など、多彩な店舗が集まっています。また、フレンチの「ル・マンジュ・トゥー」、日本料理「石かわ」、「懐石 一文字」、「懐石 小室」といったミシュランガイドの星を獲得した名店も多数集まっています。
また、このエリアで見逃せないのが、外濠沿いにオープンデッキが設けられた水上レストラン「カナルカフェ」です。風の吹き抜ける心地よい空間でいただくイタリアンベースの料理は格別です。自家製パスタやナポリ風窯焼きピッツァなどの品々を、春には桜並木を眺めながら味わうことができます。
- 掲載日
- 2020/01/09
本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。記事の内容・情報に関しては、調査時点のもので変更の可能性があります。