SDGs
【連載】不動産×SDGs(第3回)
~「ビジネスと人権」が不動産に問いかけるもの~
いま、世界が急激に変わりゆく中で、ビジネスの世界も大きな価値転換を迎えています。2015年に国連で採択された持続可能な開発目標(SDGs)は、単にその数値目標を達成することを世界に求めるだけではなく、すべてのステークホルダーが自分にできる方法で、理想の社会を実現するための役割と責任を果たすことを期待しています。
本稿では、SDGsはどのような世界を目指しているのか、また、そのことがビジネスに対して何を求めているのかといった大きな哲学について触れた上で、それが不動産という産業においてどのような意味を持つのかというところまで掘り下げてみたいと思います。
連載第3回目は「人権」についてです。
Ⅲ-Ⅰ.「ビジネスと人権」という潮流
「ビジネスと人権」という言葉を最近耳にしたことがある方、多いのではないかと思います。
この言葉、2011年に国連である決議が採択されてから急速に世界に広まっていった考え方なのですが、いまやESG投資の世界においても一つの中心を占めるくらいの概念になってきており、また欧州をはじめとして、企業の活動を規制する法律が世界中で成立しつつあります。
特にそれらは「人権デューデリジェンス(人権に対する相応の注意と措置)」を行うことを求める形でルールになることが多く、日本においても経済産業省が研究会を立ち上げました(これについては後述)。
そして、ここ10年議論されている「ビジネスと人権」の考え方は、それ以前の「人権」とは一線を画するものです。
どういうことかというと、これまで企業にとって人権とは、例えばセクハラ、パワハラなどの社内問題や、採用時の同和地区出身者への差別、あるいは消費者の安全に対する権利など、基本的にその企業が直接に関わることに関するものでした。
ところが、新しい「ビジネスと人権」の下では、例えば自社の契約の範疇のはるかに外側で、新疆ウイグル地区で生産された綿花や太陽光パネルの部品が自社製品に使われていただけでも、その企業が社会的な責任を取らされるような状況になっています。つまり「サプライチェーン全体について責任が生じる」という新しいルールであるわけです。
この動き、1990年代から始まったものです。
よく引用される例としては、アメリカで売られているサッカーボールの縫い目から「SOS」と書いた紙が出てきて、この製品のサプライチェーンを遡ってみると、パキスタンの農村で組織的に子どもが強制的に働いていることが判明したというものがあります(「SOS」に関しては都市伝説だが、児童労働についてはNIKE社を告発する1996年の「ライフ」誌の報道がある)。
また、2013年にはバングラデシュのダッカにおいて、アパレルの縫製工場が多く入居する「ラナ・プラザ」という8階建てのビルが突如崩壊し、1100人以上が亡くなったという事件がありました。そしてこの事件を通して、途上国の縫製工場における「スウェットショップ」(冷暖房のない状態での過酷な労働)に世界のファストファッションが支えられていることが明らかになり、こうしたファッションブランドが大きな批判の対象となりました。
不動産の世界においても「ビジネスと人権」は大きなトピックとなってきています。
例えばミャンマーのティラワ経済特区の開発については、日本企業が多数入居する工業団地をつくるために、そこに従来から住んでいた先住民をミャンマー政府が強制的に立ち退かせたのではないかという批判が2014年に巻き起こります。
ここで重要なことは、ティラワ地区は日本政府のミャンマーに対するODA(政府開発援助)によって開発されたものであり、かつ立ち退きそのものを行ったのはミャンマー政府であるにも関わらず、批判の矛先はそこに入居する企業にも向いたことです。
つまり、「サプライチェーン全体で人権に関する責任を負わなければならない」という共通の論理がそこには存在しています。
Ⅲ-Ⅱ.国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」
もともと人権とは、「すべての人に生まれながらにして平等な権利がある」と宣言して、それを実現するための義務と責任を国家に対して押し付けるというとてつもない発明です。
自然状態における人間は極めて不平等でありこの世は不条理の連続ですが、このように国家に対して義務を負わせることで、少しでも不平等を解消してこようとしたのが人権という人類の知恵だったのです。
13世紀英国の「マグナ・カルタ」に始まり、権利の請願、権利の章典、世界人権宣言、世界人権規約と、人類は「人権」の考え方を約千年かけて育ててきましたが、常にそこで義務を負っているのは国家でした。ところが、第二次世界大戦後に国連がこの概念を世界中に広めようとしたところ、例えば個人の権利を認めたくない中国や、貧困に悩む多くの途上国においては、なかなか「人権のための国家の義務」が浸透しませんでした。
その結果、多くの国で人々を守る法律も未発達で、制度も整備されませんでした。
そこに1990年代のグローバル化が訪れます。ここでは急速に成長するグローバル企業が、途上国での制度の未整備をいいことに好き勝手なことを始めます。
また、途上国の産業もグローバル市場の機会と果実を得るために猛烈な勢いでサプライチェーンに参加しようとしました。その結果が先程の児童労働であったり、アパレルの強制労働であったり、あるいは先住民の一方的な立ち退きであったりという、市井の人々の権利の剥奪という現実だったわけです。
これに対処しようとしたのが2005年に国連事務総長の特別代表となったジョン・G・ラギー教授です。
ラギー教授のグループは6年にわたって研究を行い、2011年に国連人権理事会に「ビジネスと人権に関する指導原則」案を提出し、これが全会一致で採択されます。この指導原則では、これまでの国家の義務に加えて、経済的な影響力を持つ企業に対して「人権を尊重する責任を果たす」ことを求めました。
これは、それまで国家だけが主体であった国際法体系そのものに大地殻変動を起こすようなパラダイムシフトでした。つまり、企業が国際法の直接の主体として認識された瞬間です。
いまやこの国連の指導原則をベースとして、世界各国において法律的な枠組みが検討されつつあります。
最も有名なのは英国の「現代奴隷法(2015年)」と現在EUにおいて審議が進む「人権DD法案(CSDD)」でしょう。もはや世界中の企業が、自社のサプライチェーン全体において人権侵害が起こらないよう相応の措置をとる義務を負わなければならない時代となっているのです。
日本においても2020年10月に「国別行動計画」が発表され、現在経済産業省にて「サプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン研究会」が発足しています。この研究会では2022年後半にその研究結果を発表することとなっているので、ぜひご注目ください。
Ⅲ-Ⅲ.不動産という産業における人権リスク
「人権リスク」はもともとその人権を奪われる人々のリスクですが、放っておくとこれを引き起こした企業のリスクにもなります。不動産という産業においてこれをみると、実にさまざまなリスクが浮かび上がってきます。以下、例として挙げます。
(1) 不当な立ち退き:ミャンマーの例を最初に挙げましたが、多くの不動産案件において企業の圧倒的な経済力を背景とした地域住民の強制的な立ち退きが時折問題となります。このような場合には住民との対話、ヒアリング、地域の自治体との密接な協力と協議などの正当なプロセスが必要となるでしょう。
(2) 建設時における児童労働・強制労働、安全基準の無視:特に途上国の建設現場においては、法律や規制が不十分な場合が多く見られ、また現場の慣行としても危険な作業が許容されているのではないかという懸念があります。
(3) 建設資材のサプライチェーン:例えば木材について、先住民が居住する森林を一方的に伐採するなど、不当かつ持続的ではない方法で取得された資材が使われているのではないかといった懸念があります。
(4) 日本における技能実習生の現状:日本の建設の現場において、多くの外国人技能実習生が過酷な労働を強いられ、正当な対価を得ていないのではないかという懸念があります。その結果、相当数の「失踪者」が出ているという報告もあります。
「ビジネスと人権」は決して難しい理論体系ではありません。要は「自社のビジネスの陰で誰かの人生が奪われないような、まっとうな商売をする」という、人間として当たり前の行動原則を形にしたものです。SDGsやサステナビリティを経営のコアに置くのであれば、人権についても「きれいごとで勝つ」を実現しなければなりません。そして私は、日本企業はそれができる存在であると確信します。
田瀬和夫
SDGパートナーズ有限会社 代表取締役CEO
1967年福岡県福岡市生まれ。東京大学工学部原子力工学科卒、同経済学部中退。
1992年外務省に入省し、国連政策課、ニューヨーク大学法学院客員研究員、人権難民課、アフリカ二課、国連行政課、国連日本政府代表部一等書記官等を歴任。2001年より2年間は、緒方貞子氏の補佐官として「人間の安全保障委員会」事務局勤務。外務省での専門語学は英語、河野洋平外務大臣、田中真紀子外務大臣等の通訳を務めた。2005年11月外務省を退職、同月より国際連合事務局・人間の安全保障ユニット課長、2010年10月より3年間はパキスタンにて国連広報センター長。2014年5月に国連を退職、同6月よりデロイトトーマツコンサルティングの執行役員に就任。同社CSR・SDGs推進室長として日本経済と国際機関・国際社会の「共創」をテーマに、企業の世界進出を支援、人権デュー・デリジェンス、SDGsとESG投資をはじめとするグローバル基準の標準化、企業のサステイナビリティ強化支援を手がけた。2017年9月に独立し、サステナビリティ・コンサルティングに特化するSDGパートナーズを設立、企業のサステナビリティ方針全体の策定と実施支援、SDGsの実装支援、ESGと情報開示支援、自治体と中小企業へのSDGs戦略立案・実施支援などをリードする。
また、 2019年12月には事業会社であるSDGインパクツを設立し、実際に社会に持続的インパクトをもたらす事業へも参入。
さらに、2021年9月にはニューヨークのサステナブル・カフェ「Think Coffee」の日本誘致のためThink Coffee Japan株式会社を設立し、現在上記3社の代表取締役。私生活においては9,000人以上のメンバーを擁する「国連フォーラム」の共同代表理事。
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