【なんば】江戸時代から繁華街として栄えた街、難波
多くの鉄道路線が集まる大阪市有数のターミナル「難波」駅を擁し、ショッピング施設も集まる難波は大阪ミナミの繁華街として多くの人でにぎわいます。ここは江戸時代から人々が集まる芝居と商業の街として栄えた長い歴史を持つ場所でもあります。
現在の難波付近では1612(慶長17)年から木津川に注ぐ運河の開削が始まり、1615(元和元)年に完成しました。この運河は当初は新川と呼ばれていましたが、当時の大坂城主松平忠明が、工事を手掛け、大坂夏の陣で戦死した安井道頓にちなんで、道頓堀川と命名したといいます。
この道頓堀川沿いには芝居小屋が立ち並ぶようになり、やがて「中座」、「角座」、「朝日座」、「弁天座」、「浪花座」という「道頓堀五座」が集まる大坂有数の繁華街に発展しました。
明治維新後も芝居の街としての歴史は続き、1923(大正12)年、松竹が道頓堀に関西初の洋式劇場「松竹座」を開きました。「松竹座」は1994(平成6)年に閉場することとなりましたが、1997(平成9)年に歌舞伎を中心にした演劇の興行を行う「大阪松竹座」として再スタートを切り、現在も多くの人々が訪れています。
1885(明治18)年、阪堺鉄道が「難波」駅から「大和川」駅間で開業、難波は鉄道ターミナルとしての歴史を歩み始めます。阪堺鉄道はその後南海電鉄となり、大阪府南部や和歌山県方面に路線を持つようになりました。
1932(昭和7)年には4代目駅舎である「南海ビルディング」が誕生して百貨店も入る名実ともにターミナルにふさわしい駅になりました。1937(昭和12)年はホームも高架に移されています。現在もこの駅舎がそのまま使われており、登録有形文化財にも指定されています。
1935(昭和10)年には地下鉄1号線(現・御堂筋線)が開通、1965(昭和40)年には地下鉄3号線(現・四つ橋線)が、1970(昭和45)年には地下鉄千日前線も開通したほか、1965(昭和40)年には近鉄難波線、2009(平成21)年には阪神なんば線も開通し、多くの路線が集まる大阪市有数のターミナルに成長しました。
難波の東に広がる千日前もにぎやかなショッピングタウンが広がっています。この辺りは明治時代にまとまった開発が行われ、見世物小屋や茶屋などが集まる繁華街となりました。1912(明治45)年の「ミナミの大火」後には、南海電鉄系列の「千日土地株式会社」がレジャーランドの建設を計画し、「千日前楽天地」が誕生。行楽地としてもにぎわいます。
「千日前楽天地」は1930(昭和5)年に廃業となりますが、2年後の1932(昭和7)年「大阪歌舞伎座」が誕生。こうして千日前も難波と共に娯楽と商業の街として発展を遂げました。
- 掲載日
- 2017/04/28
本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。記事の内容・情報に関しては、調査時点のもので変更の可能性があります。