【目黒】「目黒不動尊」の門前町から将軍家の鷹狩の場へ、そして都内有数の桜の名所に
現在も多くの参拝客でにぎわう「目黒不動尊」は平安時代に誕生したと伝えられる古い寺です。目黒はこの「目黒不動尊」の門前町として栄えてきました。江戸時代になると鷹狩りの場としても利用されるようになり、また、「目黒不動尊」の東を流れる目黒川には水車が並び、これを動力に農業や食品加工業も発展します。目黒川の水車は大正時代末期に失われましたが、代わりに桜並木が誕生し、今も人々の目を楽しませてくれます。
「目黒不動尊」は平安時代に慈覚大師・円仁が、下野国(現在の栃木県)から比叡山に向かう途中で今の目黒に立ち寄ったところ、夢に現れた仏を像に彫って安置したことがはじまりと伝えられています。その後、慈覚大師・円仁は唐(現在の中国)でこの仏が不動明王であることを知り、帰国後にお堂を建立しました。こうした長い歴史を持つ「目黒不動尊」は熊本県にある「木原不動尊」、千葉県にある「成田不動尊」とともに「日本三大不動」に数えられています。
江戸時代になると、「目黒不動尊」は江戸の「五色不動」のひとつとして信仰を集め、「江戸名所図会」に「参詣人が絶えることがない」と記されるほど多くの人々が訪れるようになりました。また、「江戸名所図会」には「門前には左右に商店が並び、栗餅や飴、餅花などを売る店が多い」と書かれています。「目黒不動尊」周辺は農村地帯だったため、こうした菓子などとともに、門前ではたけのこ飯を提供する店もあり、名物として親しまれていたそうです。
「目黒不動尊」の信仰は明治時代を迎えてからも衰えず、西郷隆盛や東郷元帥らも祈願に訪れました。現在も「8」の付く日に行われる縁日や正月の初詣や節分など、多くの人々が集まっています。
江戸時代、将軍家では年中行事の一つとして年始に鷹狩りを行うようになります。鷹狩りを行う鷹場は江戸近郊に複数整備され、鷹の訓練を行う鷹匠や鳥見、鷹場の見張りをする鷹番が置かれました。目黒にも駒場野や碑文谷に鷹場が設けられ、目黒区の鷹番という地名もこうした歴史に由来しているといわれています。
三代将軍・徳川家光もこの地で鷹狩りを行いましたが、ある日、鷹が行方不明になるという事件が起きました。そこで家光自ら「目黒不動尊」で祈願したところ、すぐに鷹が戻ってきたといわれています。このことをきっかけに家光は「目黒不動尊」を崇拝し、「目黒御殿」と呼ばれるほどの華麗な大伽藍を建てました。
江戸幕府の鷹狩りは五代将軍・徳川綱吉の「生類憐みの令」により中止されますが、八代将軍・徳川吉宗の時代になって復活します。この頃になると江戸近郊の6か所の鷹場の中でも目黒の鷹場は江戸からの距離や地形が適していたことから頻繁に使われるようになりました。なかでも駒場野には松林が点在する原野が広がり、キジやウズラといった野鳥、イノシシやウサギなどの野生動物が多く生息していたため、最も多く利用されていたといいます。
吉宗は1718(享保3)年に初めて鷹狩りで駒場野を訪れ、その後15回にわたって駒場野に赴き、ウズラ狩りやイノシシ狩りなど鉄砲を使う大がかりな狩りも行っていたそうです。
享保年間、「目黒不動尊」付近の目黒川には木食上人により「太鼓橋」と呼ばれる橋が架けられ、参拝のルートとして多くの人々が行き交うようになりました。この目黒川と「太鼓橋」の風景は歌川広重の浮世絵にも描かれています。
また、目黒川からは周囲の農地に水路が引かれ、農業用水を供給する貴重な水源でもありました。こうした恵まれた水利により、目黒周辺の農村では生産力が上がり、目黒川に水車を設け、精米や製粉など農産物を加工するようになります。こうして目黒川には江戸時代末期から明治時代にかけて多くの水車ができ、明治初期には目黒周辺の水車は10数か所に上っていたといいます。
目黒川沿いには豊富な水を求めて1885(明治18)年には「目黒火薬製造所」、1887(明治20)年には「日本麦酒醸造会社」(現在のサッポロビールの前身)など大工場も進出してきました。さらに、水車の動力も精米や製粉から煙草製造、ガラスみがき、薬の精製、活版墨汁練りなど工業にも使われるようになり、目黒川は目黒の工業発展にも貢献しました。しかし、大正時代になると電力による精米機が誕生し、動力源としての水車の価値は失われていきます。1923(大正12)年からは目黒川の改修工事が始まり、水車は姿を消していきました。
その後、水車に代わって目黒川沿いに登場したのが桜並木です。1927(昭和2)年に桜の植樹が開始され、桜の名所として親しまれるようになりました。当時の桜の木はすでに植え替えられましたが、現在も目黒川沿いには桜並木が続き、春には多くの花見客の目を楽しませています。
- 掲載日
- 2017/11/30
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