観光業とインバウンドが日本の不動産と経済を救う

日本に残された数少ない成長産業は、観光業ではないでしょうか。インバウンドを中心とした観光業は、コロナ禍の打撃を大きく受けましたが、今後回復し2019年の実績を超えていくと思われます。また巨大な装置産業であったかつての観光業、リゾート業も大きく変わってきています。

Ⅰ.インバウンド関連事業がもたらした東京の変化

少子化と高齢化が進むこの日本において、ドメスティックな産業の中で成長産業を見つけるのはなかなか難しいことだと感じます。
一般的にはシルバービジネスや医療ビジネスが想い浮かびますが、今後も長期的に人口減少が続いた時、現在の団塊の世代やそのジュニア世代の次の人口的なボリュームが無いのが現実です。

そういった状況下において、この国における成長産業の有力な一つがインバウンドに関連する観光業、宿泊業ではないかと思われます。
特にインバウンドの影響は、これまで特に注目を浴びていなかった地域を活性化させています。正にこのインバウンドを中心とした観光業、宿泊業は、日本各地の経済だけでなく不動産においても大きな恩恵と変化を与えているのです。
一旦は新型コロナのパンデミックにより下火になったインバウンドも、コロナ禍が約3年を経てようやく収束しようとしている今、再び復活し、日本各地の経済に活気を与えています。
今回は、時代を少し遡りながらこの「インバウンド需要」が不動産と経済に与えてきた影響を考察していきたいと思います。

Ⅱ.大久保エリアに起きた変化

今から十年ほど前に、20代の二人の若き経営者が弊社を訪れました。彼らの依頼は「新宿区歌舞伎町の近くで賃貸経営を考えていて、そのプロジェクトに関するコンサルティングをしてほしい」といった内容でした。彼らは歌舞伎町にあまたある飲食店専門の広告代理店を生業としており、顧客の店のホームページや名刺の製作をしていました。そして既に不動産賃貸斡旋業にも進出したと言うのです。

その当時の私の正直な新宿区歌舞伎町周辺の住宅街のイメージは端的に言えば歓楽街のはずれのホテル等が集積するエリアといったイメージしかありませんでした。
そういったイメージのエリアで敢えて賃貸住宅を経営するという彼らのビジネスモデルが成功するとは思えず、正直にその旨をお伝えしました。
すると彼らは、「自分たちは歌舞伎町でずっと商売をしてきて、長谷川さんよりも詳しいはずだから、一度見に来てほしい」と言われました。

そこで、ある日その地域に参りました。歌舞伎町の北側にあるJR新大久保駅から南に下って歌舞伎町に向かおうと思ったのですが、駅から降りようとした瞬間に、いきなり人の波に揉まれました。
夕方4時頃でしたが、改札口が、ホームに入って行こうとする中年の女性客と、駅から出ようとする女子高生の集団で改札口は大混雑の状況だったのです。
改札口を出た後も歩道には人があふれ、なかなか思ったように前に進めませんでした。

結論から申しますと、ほんの数年の間でこの歌舞伎町の北側の私からするとホテル街と思われていた一帯が、大きく変化していたのです。元々韓国料理屋は何店舗もありましたが、いわゆる冬のソナタ以降続いている韓流ドラマブームとKポップの流行で、中高年の女性と女子高生が大挙して訪れる、いわば韓流ブームの聖地に変わっていたのです。もちろん昔ながらのホテルも残っていましたが、昼間の風景は原宿にも似た賑わいがありました。
その後さらにインバウンドによる外国人旅行者がこの地に多く宿泊するにつれて、多くのインバウンド向けの宿泊施設が開設されました。

今では、この歌舞伎町の北部エリアは一大韓流観光地および先のとおり宿泊施設が多く出来、かつての印象とは大きく変わっています。
歌舞伎町も外国人旅行者からすると24時間眠らない街であり夜通し楽しめる街なのです。
その歌舞伎町の北側にある大久保エリアは、歌舞伎町に歩いていける立地の良さのため、各宿泊施設は大人気となりました。
昔からこのエリアで飲み食いしてきた者からすると正に隔世の感があります。新宿には以前より新宿駅西側の高層ビル街に有名ホテルがありますが、これらのホテルよりも歌舞伎町へのアクセスはよく、なおかつ宿泊費も手頃なので、海外からの長期旅行者を中心に非常に強い需要があるのです。

蓋を開けてみると、歌舞伎町周辺で賃貸経営を考えているといった二人の若い経営者の発想は間違っていないどころか大当たりだったのです。現在ではアパホテルが歌舞伎町の内と外に何棟もホテルを建設していますが、構想としてはアパホテルよりも若い二人の方が何年も早かったことになります。

このように、世界でも類を見ない人口集積地である東京においては、非常にダイナミックな街の表情の変化が見られます。不動産をずっと見てきたつもりであった私の想像を優に超える現実が常にあり得るのです。

Ⅲ.インバウンドの恩恵を受ける地方経済

私は、講演の仕事でほぼ日本全国を訪れています。ある夏の日、熊本県市内から車で2時間程離れた、ひなびた温泉街をぶらぶらと歩いていました。
そこで、自転車に乗った二人連れから「すみませ〜ん」といきなり声をかけらました。その二人は外国人女性でした。彼女らが「この近くにスーパーはないか?」というのです。
私は地元の人間ではないので、分かりかねたのですが「一緒に探しましょう」と言ってしばらく周囲を散策しました。

どこの国から来たのか?と尋ねると「スイスから」だと言います。
私がポカンとして不思議そうな顔をしていると、福岡空港まで飛行機で来て、そこで空輸した自分達の自転車を組み立て、現在九州を海沿いに一周する旅行の途中だというのです。二人のまだあどけない日焼けした笑顔から察すると、おそらく二十歳前後の学生だと思われました。

「しかしまあ、何でこんな田舎町に...自転車で九州一周?どうしてわざわざ?」と一瞬不思議に思いましたが、よくよく考えてみると「スイスは海の無い国だから海のある国に行きたいと思ったのかな。海の見える豊かな自然のある国で、彼女たちの生まれ育った地域と異なる風情を持っている地域で、安全に旅行できるとなると、確かに日本の田舎は最適だな」と納得の理由に思い至りました。

旅人に対するホスピタリティーの面でも日本人らしい一面を感じました。(私自身も発揮してしまいました。)
彼女達と一緒に探し出した小さい八百屋さんでは、地元の方が野菜を、気が付くと私もみかんを、このスイスから来た旅行者にプレゼントしていました。

また、同じ時期、熊本県のある田舎の漁港の沖に巨大な豪華客船が通っていく姿を見て驚いたこともありました。何でも対岸の熊本県八代港へはコロナ前には度々中国や台湾から豪華客船が乗り付けていたのでした。大型客船で乗り付けた観光客は、そこを拠点として熊本や鹿児島をバスで回るそうです。これもこれからもうすぐに復活するはずです。
アジア各国からは、海の航路を通じて実に多くの観光客が全国の港に来ているのです。

鹿児島へ訪れた時も、錦江湾の向こうに見える桜島を撮影している中高年の女性達が大勢おりまして、「日本人は桜島が好きなのだな〜」と思ってよく見てみると日本人観光客ではなく、大勢の中国人の観光客でした。
また、コロナ禍前には長崎市内の商店街の売り上げの2割は、韓国から高速艇に乗って数時間でやってくる旅行者の買い物客で占められているそうです。
思えば、九州地域は東シナ海を挟み韓国、台湾、中国の玄関口であり、飛行機ばかりでなく、船によっても多くの旅行者が訪れています。

こういった経験を踏まえ、実は私自身も熊本県で「民泊施設」を約4年前から始めました。
実験的な意味合いもあって始めましたが、新型コロナの影響による低迷はありましたが結果は予想以上のものでした。特段有名な観光地でもない田舎の施設に台湾や香港だけでなく、フランスやドイツ、イギリスからお客様が来て頂いています。「この場所で、これだけお客様が来て下さるのであれば、日本全国工夫次第でどこでもやっていける」といった手応えを感じています。

Ⅳ.今後のインバウンド関連企業の展望

さて、実際にコロナ禍以前における海外からのインバウンドの増加は驚く程の急増ぶりでした。2013年には年間1千万人だった外国からの旅行者が、6年後の2019年には3千万人を突破しました。
世界で一番海外からの旅行者が訪れる国はフランスで年間約8千万人です。
そのフランスを日本は近い将来抜くであろうといった声もありましたが、その直後にコロナ禍になってしまいました。しかし、新型コロナが収束に向かう今後において、フランスに迫る可能性はあると思います。

私は、日本の全産業において伸び代が大きい、つまり更なる大きな成長を見込める業種の一つが観光関連だと先に書きました。
特に、人口減少と高齢化が著しい地方経済においては、成長産業は残念ながら極めて少ないのです。
これは、私自身、熊本県の中でも特に人口減少と高齢化が著しいエリアで民泊を経営しての実感でもあります。
この民泊施設が建つ土地は、最寄りのインターチェンジからは車で2時間、最寄りの駅からは車で1時間の立地です。
それでも観光施設として収益を生むのであれば、その不動産自体に新しい価値が生まれていることになります。

日本のリゾート事業やホテル事業の歴史を振り返りますと、これまでも大手電鉄各社や大手不動産会社各社がこぞって日本全国で大規模に展開して来た歴史があります。
しかし、今日本全国で起こっている現象は、これまでのスキー場やゴルフ場とセットにした巨大装置産業とは大きく異なるものです。
ホテル事業一つ取ってみても、現在ではその「所有」と「運営」が分離されているケースが一般的になりました。
私が経営する民泊施設のある土地も長年放置されていた元は製材所でした。

今後インバウンドを中心とした観光業全般において、工夫次第で誰でも恩恵を得ることができると確信しています。
繰り返しになりますが、少なくともこの「業」はこの国に残された数少ない成長産業の一つなのは間違いありません。

長谷川 高(はせがわ たかし)

株式会社長谷川不動産経済社代表

東京都立川市生まれ。立教大学経済学部経済学科卒。株式会社長谷川不動産経済社代表。大手デベロッパーにてビル・ マンション企画開発事業、都市開発事業に携わったのち、1996年に独立。以来一貫して個人・法人の不動産と賃貸経営に関するコンサルティング、顧問業務を行う。顧問先は会社経営者から上場企業まで多数。一方、メディアへの出演や講演活動を通じて、不動産全般について誰にでも解り易く解説。 著書に『家を買いたくなったら』『はじめての不動産投資』(共にWAVE出版)、『厳しい時代を生き抜くための逆張り的投資術』(廣済堂出版) 『不動産2.0』(イースト・プレス)など。

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