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英国ロンドンのオフィス事情

ロンドンのオフィススペースの需要は全体的には鈍化していますが、社会的、技術的、経済的状況に応じてニーズが変化する中で、多くの企業が引き続きロンドン市内で物件を探し賃借しています。ポストコロナの時代において、これまでと違うタイプの物件を選ぶ事例や、拠点を置くべき場所を再検討するケースが増えています。本コラムでは、ロンドンを中心にしたオフィス事情をお伝えします。
Ⅰ.ビジネス中心地ロンドン
ロンドンは、多くの国内老舗企業や外国企業、投資家にとってビジネス活動の中心であり、大手企業のオフィス形態も実に多様です。
歴史ある大手企業の中には、会社の様々な部門を本社に集約することを選ぶ例もあれば、様々な場所に業務を分散させてオフィスを構えることを好む例もあります。
また、近年のコロナパンデミックの影響で働き方が変化し、リモートワークの増加に対応してオフィスを閉鎖する例もありますが、ポストコロナの時代において、これまでと違うタイプの物件を選ぶ事例や、拠点を置くべき場所を再検討するケースが増えています。
経済が不安定な状態の中、コロナパンデミックが始まった2020年3月以降で初めて、2024年8月初旬にイギリス中央銀行が金利の引き下げを決定したことは、ロンドンや英国全体の不動産セクターにとって明るい兆しと見ることもできそうです。
Ⅱ.新興エリアへのオフィス集約

すべての業務を一つの建物に集約している例としては、銀行大手のバークレイズが挙げられます。
金融機関はロンドンのビジネス界を代表する分野の一つであり、かつて「ザ・シティ」と呼ばれるコンパクトな1平方マイルのエリアに軒を連ねてきました。ザ・シティは、有名なセント・ポール大聖堂があるロンドン中心部に位置し、ロンドン市内でも金融街として独自の都市機能を有しています。ここにはイングランド銀行やロンドン証券取引所、そして多くの銀行や金融サービスの本社が今も多く存在しています。
バークレイズもかつてザ・シティに本社を構えていましたが、2005年にカナリー・ワーフに移転しました。
カナリー・ワーフはロンドン東部にある旧港湾地域で、1980年代に商業地区として再開発され、特にザ・シティの代替地として金融関係の企業が拠点を置く場所となりました。バークレイズはこの数十年間でカナリー・ワーフに移転した銀行や金融機関の一つですが、この地域にはITなど他の分野の企業も集まっています。ロンドン中心部からは少し離れていますが、多くの企業が比較的手頃な賃料と魅力的なウォーターフロントの環境に惹かれて集まってくるのです。バークレイズが、カナリー・ワーフのチャーチル・プレイスに32階建て、高さ156メートルの高層ビルを建設し、イギリス国内のすべての業務を集約していることからも、この場所に満足していることが伺えます。

Ⅲ.シティへの回帰
一方最近では、カナリー・ワーフに拠点を置く別の大手銀行がザ・シティに再移転しようという動きもあります。
英国に拠点を置くHSBC(香港上海銀行)は、カナリー・ワーフにある45階建てオフィスタワーのリースが2027年に終了するのに伴い、本社をザ・シティに移転する予定です。セント・ポール大聖堂が一望できるパノラマ・セント・ポールズという開発プロジェクト内のオフィス複合施設が移転先となっています。新たなオフィスの面積は、カナリー・ワーフにある1.1百万平方フィート(約102,000平方メートル)のタワーに比べて、約60万平方フィート(約55,700平方メートル)ほどの規模です。移転によってHSBCは本部の規模をおよそ半分、あるいはそれ以上縮小しようとしています。
このザ・シティへの再移転 は、いくつかの懸念がきっかけとなりました。昨年初め、カナリー・ワーフのビルの10フロア分に相当する面積が、従業員の在宅勤務によって利用されていなかったということが発覚したことです。とはいえ、フルタイムではないにせよ、多くの従業員がオフィスでの会議や業務を行い、少なくとも週に数日は出社するため、それなりのスペースが必要でした。またカナリー・ワーフはロンドン東部に位置し、鉄道が時間通りに運行したとしても、ロンドン内外の他の地域に暮らすスタッフにとって、必ずしも通勤に便利な立地であるとはいえませんでした。一方、中心部にあるザ・シティに再移転することは 、ロンドンのどの方面からも通勤しやすくなり、便利になることが明確だったのです。

移転はまた『HSBCはエネルギー消費を削減し、世界のオフィス面積を約40%削減する』という目標を実現するための取り組みとみることもできます。ビジネス界全体が『ネットゼロ排出を達成せよ』という要求に敏感になる中、それぞれの企業も環境問題への対処を優先させようとしているのです。
パノラマ・セント・ポールズの開発業者は、持続可能性をプロジェクトの主なセールスポイントの一つとしています。この新しくリノベーションされたオフィス複合施設はもともと1980年代に建てられたもので、76%が再利用された材料を使用しており、新築した場合に比べCO2排出量を54%削減できたと発表されています。また、敷地内にはレストランやカフェ、ジム、プールがあるほか、広い駐輪場があり、従業員が自転車で通勤しやすいようになっています。このように、開発業者は、オフィス複合施設がエコロジカルかつ利用者中心のデザインとなっていることを強調しています。
さらに、開発業者がアピールするのは、その立地の素晴らしさです。セント・ポールズ駅、ファーリンドン駅という二つの駅があって異なる鉄道路線が利用でき、周囲にはおしゃれなバーやレストラン、ショップが並んでいます。また テート・モダン(美術館)やバービカン・センター(文化施設)も近くにあります。HSBCが経済的および環境的な理由でオフィススペースを縮小しようとしていることは広く知られていますが、なぜこの場所を選んだのかについては公式に発表していません。それでも、ロンドン中心部であり、文化的要素や、繁華性を重要視した可能性は非常に高いと思われます。
Ⅳ.ロンドン郊外への分散
バークレイズやHSBCのように組織を一つの場所に集中させる企業もあれば、大手企業がロンドン内の複数の場所に部門を分散させることも珍しくありません。
エネルギー大手BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)は、サプライチェーン管理部門であるIST(統合供給および取引)業務をカナリー・ワーフにあるオフィスで実質的に運営していますが、本社はより歴史的なロンドンの中心部であるウェストミンスター地区に構えています。ウェストミンスターはイギリスの政治の中心としても有名ですが、多くの企業の本社が集まる活気あるエリアでもあります。ここに経営陣や取締役会のメンバーが集まり、BPの司令塔としての業務を行っています。また、ロンドン市外に位置する緑豊かなサンベリー・オン・テムズに、BPの国際ビジネスおよび技術センター(ICBT)があり、海外ビジネスの拠点としても機能し、新しい才能を育成するための施設も備えています。
このように、BPはウェストミンスターの地価の高い中心部の本社でその権威を示しつつ、地価が割安なカナリー・ワーフに実務部隊を配置し、さらに市外にあるサンベリーでは広いスペースと緑地を最大限に活用しているように見えます。
Ⅴ.最後に
ここまで ロンドンを拠点とする企業がオフィスの在り方を多様化させ、最大の効果を生み出そうとしている事例を紹介してきました。
会社の主要な事業運営を複数の場所に分散させるにしろ、一か所に集約させるにしろ、ロンドンは依然としてイギリスの金融業界や産業界の大手企業にとって最も魅力的な場所と言えます。イギリス国内で最も不動産価格が高い市場であるにふさわしく、その確固たる地位は揺るいでいません。
ジェフ・ハモンド
東京を拠点とする英国のアートライター兼講師。視覚芸術と建築に幅広い関心を持ち、ジャパンタイムズ、カナダの建築雑誌「Azure」などのメディアに寄稿。大学では、建築家ル・コルビュジエの建物を含む、現代の視覚文化の様々な側面を分析するコースで教えている。
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