CRE戦略
「インフレ」「金利ある世界」の到来はCRE戦略を変えるかⅠ ~外部環境の変化が迫るCRE戦略のアップデート~
今、日本経済および日本企業を取り巻く外部環境は大きく変化しています。
2024年2月に日経平均株価が約34年ぶりに史上最高値を更新したこと等の明るい話題もある一方で、歴史的な円安も背景とした物価の高騰による国民生活への負の影響も顕在化しています。2024年3月には、日銀がマイナス金利政策の解除に踏み切り、金融政策も大きな転換点を迎えています。長期金利の指標となる新発10年物国債利回りは1%台で推移しており(本稿執筆時点)、国内では17年ぶりとなる「金利ある世界」に足を踏み入れている状況です。
また、生産年齢人口(15~64歳の人口)の減少を受け、人手不足に対する企業の危機感もかつてない程に高まっています。それは賃金上昇の勢いにも表れており、連合(日本労働組合総連合会)が2024年7月に発表した2024年春闘(春季生活闘争)の最終集計結果によると、ベースアップに定期昇給を合わせた平均賃上げ率は5.10%と33年ぶりとなる高水準を記録しています。
記録づくめの各指標が表すように、日本経済は「失われた30年」から脱却しつつある状況にあると言えます。
今回は全2回にわたり、こうした外部環境の変化に即したCRE戦略の在り方や考え方について特集します。
第1回目では、企業を取り巻く外部環境の整理とCRE戦略の定期的なアップデートの必要性について考えます。
【サマリー】
- 国土交通省によってCRE戦略の重要性が提唱されてから既に16年余りが経過しているが、企業を取り巻く外部環境の変化を受け、CRE戦略の重要性はますます高まっている。
- 東証によるPBR改善要請もあり、企業の株価(投資家からの評価)に対する意識はかつてない程に高まっている。アンケート結果によれば、投資家が考える「経営目標として企業が重視すべき指標」のトップはROE。そのROEを変動させるCRE戦略は全ての企業にとって重要な経営戦略の一つであると考えられる。
- CRE戦略はBS、PL等の財務面に影響を与えるが、社員のエンゲージメント等に代表される、いわゆる「非財務面」にも大きな影響を与える。足元の人手不足感の高まりがCRE戦略の重要性をさらに際立たせている。
- インフレや金利動向に代表される足元における外部環境の大きな変化は、企業にとって戦略立案に際しての「前提条件」が変わりつつあることも意味する。経営戦略と同様に、CRE戦略も定期的なアップデートが求められる。
Ⅰ.重要性を増しているCRE戦略
ⅰ.CRE戦略とは
2008年4月に国土交通省が「CRE戦略を実践するためのガイドライン」を提唱したことを契機に、日本でも「CRE戦略」が広く知られるようになりました。国土交通省は同ガイドラインの中でCRE戦略を以下のように定義しています。
CRE(Corporate Real Estate)戦略とは、企業不動産について「企業価値向上」の観点から経営戦略的視点に立って見直しをおこない、不動産投資の効率性を最大限向上させていこうという考え方
図表1は、CRE(企業不動産)のイメージを表したものです。
図表1で示した例のように、CRE戦略立案に際しては、企業不動産を「コア資産」と「ノンコア資産」、さらにキャッシュを生むか否かの軸で大別する方法が一般的です。
まずは自社が保有する不動産について、経営戦略的視点に立って、その位置付けや価値・役割を正確に把握することが重要です。また、現時点では不動産を保有していない企業であっても、例えば、自社オフィスを「賃借」から「保有」とすることを検討したり、より広い賃貸オフィスビルへの移転を検討したりすることも、広い意味では「CRE戦略」に当たると考えられ、その意味ではCRE戦略は全ての企業にとって重要なテーマであると言えるでしょう。
ⅱ.CRE戦略の重要性が増している背景
前述の通り、CRE戦略の必要性・重要性が提唱されてから既に16年余りが経過しているため、CRE戦略自体は特に目新しい考え方・戦略ではありません。しかしながら、足元で顕在化している様々な環境の変化に伴い、今、CRE戦略の必要性・重要性の高さが改めて認識されつつあります。特に上場企業を取り巻く環境は足元で大きく変化しています。その代表的な変化の一つが、2023年3月の東京証券取引所(以下、東証)によるプライム市場およびスタンダード市場の全上場会社に対する「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の要請です。
東証は、特にPBR(株価純資産倍率)が長期にわたって1倍を下回る企業に対して、中長期の価値創造に向けて市場評価を引き上げるための具体策を開示・実行するように強く要請しています。これにより、上場企業各社はこれまで以上に「株価」、つまり投資家からの評価(市場評価)を意識した経営を求められることとなりました。図表2の通り、東証は企業に対して継続的な対応を求めているため、これは一過性のトレンドではありません。2024年2月に日経平均株価が約34年ぶりに史上最高値を更新しましたが、企業業績の堅調さもさることながら、上場企業各社のPBR改善を目的とした各種の取り組みが国内外の投資家から高く評価されていることが大きな背景にあると見られます。
株価は企業価値を示す代表的な尺度の一つである「時価総額」(株価×発行済株式数)に直結するため、企業にとって最も重要な経営課題の一つであることが今更ながら強く認識されているのが足元の状況と言えます。では、その株価(市場評価)を決定する主要プレーヤーである機関投資家は投資先企業に何を求めているのでしょうか。
図表3は、投資家が考える「経営目標として重視すべき指標」と企業の「中期経営計画の指標」についてのアンケート結果です。投資家が重視している経営指標は何か、といった点に焦点を当てるため、ここでは投資家側の結果に着目します。
「ROE(株主資本利益率)」を重視すべきとする回答がトップです。ROEは、PBRの決定要素の一つ1でもあり、企業はROEを意識した経営を求められている環境に置かれていることが確認できます。
さらに、ROEは、図表4の通りに分解できます。
ROA(総資産利益率)を高めるためには、当期純利益を増加させることや総資産を減少させることが必要であることがわかります。企業が保有する不動産(CRE)は総資産を構成する一部です。それらの不動産を売却(オフバランス)し、売却で得た資金を事業に投下すること等により、総資産の圧縮と当期純利益の向上が期待できます。
また、総資産の変動は財務レバレッジにも影響を与えます。さらに、財務レバレッジを考える上では金利情勢も考慮する必要があります。本社ビル建設資金を借入金で賄うケース等がCREの事例としてイメージされます。いずれにせよ、CRE戦略は、ROEの変動を通じた市場評価に影響を及ぼす重要な経営戦略の一つと考えることができるでしょう。
上場企業を取り巻く環境の変化はこれだけではありません。株主構成の割合も中長期で眺めると大きく変化しました(図表5)。「金融機関」と「事業法人等」の割合が低下傾向にある一方で、「外国法人等」の割合が年々高まっています。
アクティビストらによる不動産に関連した株主提案も増加傾向にあります。こうした側面からも、CRE戦略の重要性が高まっている実態が垣間見えます。
1PBR(株価純資産倍率)は次のように分解できる。PBR=ROE(株主資本利益率)×PER(株価収益率)。
ⅲ.本社オフィス戦略から考える CRE戦略が経営指標に与える影響
CRE戦略についてより具体的なイメージを掴むため、ここでは本社オフィスを「賃借」とするか「保有」とするか、の例を基に、CRE戦略立案の重要性・必要性について考えます。
図表6は、「賃借」と「保有」双方の財務面および非財務面への影響を単純化して示した表です。
前述の通り、不動産(ここでは本社ビル)を売却(オフバランス)することは資本効率の改善に繋がるため、BS面ではプラスの効果を生む戦略と言えます。一方で、新たに賃料負担が発生するため、PL面ではマイナス(減益)の影響を生む戦略でもあると言えます。逆に、新たに「保有」(オンバランス)する場合は、PL面ではプラス、BS面ではマイナスと考えることができます。
こうした財務面への影響は従来から指摘されてきたCRE戦略のポイントですが、いわゆる「非財務面」への影響も考慮した戦略が求められるようになってきているのが足元のトレンドです。本社オフィスに関連するCRE戦略は、今や人材採用力や従業員のエンゲージメント等といった非財務面に大きな影響を与える重要な戦略の一つとなっています。
図表7のアンケート2結果の通り、従業員300人以上の企業の回答に限れば、本社オフィスの存在意義や求められる機能・役割としては、「従業員のエンゲージメント向上」がトップとなっています。テレワークが一定程度定着した足元においても、オフィスの役割の大きさ、重要性の高さは変わりません。
企業が従業員のエンゲージメント向上に注力している背景には、将来的な人手不足に対する強い危機感があります(図表8)。採用力強化や社員定着率の向上は、今や非常に重要な「非財務面の課題」となっています。足元で顕在化しているこうした社会的な課題も、CRE戦略立案の必要性・重要性の高まりに繋がっていると考えられます。
2主に東京23区に本社が立地する企業の上位約1万社を対象とした今後の新規賃借予定等のオフィス需要に関するアンケート(森ビル定義)。
Ⅱ.本社オフィス戦略から考える「賃借」と「保有」のメリット・デメリット
メリット | デメリット | |
賃借 | 初期投資費用が抑えられる 状況に応じて移転や拡張、縮小が容易(柔軟性◎) 維持管理の手間が少ない |
キャッシュアウトが発生する トータルの支出が多くなる 仕様上の制約がある 賃料が値上げされることがある(インフレに弱い) |
保有 | キャッシュアウトが抑えられる トータルの支出が少ない 仕様上の制約が無く、自由な設計・レイアウトが可能 賃料の値上げがない(インフレに強い) 費用が固定されるため、中長期の経営計画が立てやすい 従業員のエンゲージメント向上が期待できる |
初期投資費用が大きい 借入により、資産(負債)が増加する 状況に応じて移転や拡張、縮小が困難(柔軟性×) 維持管理(建替え含む)の手間が大きい |
図表9は、「賃借」又は「保有」とする主なメリットとデメリットです。特に注目される要素を赤字にて表記しています。
資金面での不安が少ない大企業をベースに考えると、本社オフィスを敢えて「賃借」とすることの最大のメリットは、「状況に応じて移転や拡張、縮小が容易」であることと言えます。昨今注目されている「アジャイル経営」3にも適した合理的な戦略と言えます。一方、「賃借」のデメリットは、「仕様上の制約がある」ことや「賃料値上げリスク」が代表的です。 「保有」のメリットは、「仕様上の制約が無い」、「賃料値上げリスクが無い」、「従業員のエンゲージメント向上が期待できる」といった点が挙げられます。インフレと人手不足が鮮明となりつつある足元の環境を考慮すると、「保有」のメリットが相対的に大きくなってきているとも考えられます。しかし、「状況に応じた移転や拡張、縮小が困難」であることや、「維持管理(建替え含む)の手間が大きい」点は「保有」特有のデメリットと言え、特に建築費の高騰が今後も続くとすれば、いずれ自社ビルの活用の在り方が大きな検討課題となる可能性がある点はリスクと捉えられます。
3少数のメンバーで構成されたチームによる迅速で機敏な経営や、組織が変化に強く、迅速に対応できる経営スタイルのことを指す。
Ⅲ.外部環境の変化が迫るCRE戦略のアップデート
ⅰ.「インフレ」がCRE戦略立案に与える影響
図表10は、近時の消費者物価指数の推移です。
歴史的な円安で推移する為替の影響もあり、幅広い品目やサービスに価格上昇が波及しています。少なくとも、長年にわたるデフレ時代は終焉を迎え、本格的なインフレの時代へと突入しつつあるのが日本の足元の実態と言えます。
物価高の影響は幅広い業界に波及しています。CRE戦略への直接的な影響としては、建築費の上昇が挙げられます。
図表11の通り、ここ1~2年における上昇ペースは異例と言えます。CRE戦略との関連で考えると、例えば、老朽化した自社ビルの建替えを検討する企業にとっては大きな課題となります。経済合理性の観点から、建替えから売却へと方針転換することも一つの戦略であり、逆に今後の更なる高騰を見込んで、早めに建替えを実行するとの判断もまた理に適った戦略と言えます。いずれにせよ、足元の建築費の動向はCRE戦略の難易度をさらに一段高めていると言っても過言ではないでしょう。
インフレ、建築費の高騰が今後も継続すると仮定すれば、オフィス賃料の上昇が鮮明となる将来も現実味を帯びてきます。
図表12の通り、足元ではオフィス需要の回復を受けて空室率は改善傾向にありますが、本格的な賃料上昇には至っていません。しかし、オフィス需要が今後も高水準で推移するとの前提に立てば、建築費上昇分の賃料への転嫁が今後本格化する可能性があります。テナント側としては、「インフレに弱い」賃借のデメリットがより際立ってくることになるため、この点も今後のオフィス戦略に影響を及ぼす可能性のある重要なポイントです。
そもそも、図表13が示す通り、大企業が求めるレベルに適う一定グレード以上の賃貸オフィスビルにおいては、「借り手優位」が鮮明であった2021~2023年頃のコロナ禍中でさえ、賃料が増額改定されたケースが大半である現実があります(調査対象は過去1年間に賃料改定があった企業)。
インフレ、建築費高騰の影響が本格的に賃料に反映されてくるのはこれからが本番と言えます。外部環境の変化に合わせてCRE戦略を定期的にアップデートし続けていくことの重要性をこうした点からも窺い知ることができます。
ⅱ.「金利ある世界」がCRE戦略立案に与える影響
インフレが鮮明となる中、日銀は2024年3月にマイナス金利政策を解除し、国内においても金利先高観が高まってきています(図表14)。「金利ある世界」の到来はCRE戦略にどのような影響を及ぼすと考えられるでしょうか。
本社オフィスに関するCRE戦略について考えると、「保有」を検討する場合、多額の資金需要が発生するため、借入によって資金調達を行う企業が多いと推察されます。このケースでは、低金利のうちにプロジェクトを推進すべきとする考え方もある一方で、将来的な利払い負担増をリスクと捉え、「賃借」を選択するとの判断もまた理に適った戦略と言えます。
いずれにせよ、借入によって調達した資金の「価値」(金利=「お金の値段」)が上がることは、その資金を投下して進められる各事業から生まれる正味の収益・メリットがこれまで以上に厳しく問われてくることも意味します。本社オフィス戦略に限って考えても、金利動向が事業法人各社のCRE戦略に与える影響は小さくないと考えられます。
また本社オフィスに限らず、「金利ある世界」では、従前以上にROIC4を重視した経営戦略の重要性が高まると考えられます。中核事業や成長事業に資本を集中させる戦略に伴って、遊休地を含む保有不動産の売却の検討や本業の競争力向上のために新たに生産拠点等の購入の検討を行うといった動きが活発化する可能性があります。さらに、金利上昇(リスクフリーレート上昇)局面では、自社株式の配当利回り5の上昇も要求されることになるため、特に上場企業では、資本政策や配当政策の見直しに伴うCRE戦略への影響も今後の注目されるポイントと言えます。
企業を取り巻く環境の変化は、インフレや金利の動向だけではありません(図表15)。当然ながら、属する業界や業界における自社の立ち位置等によって、これらの外部環境の変化が事業に与える影響は異なります。また今更言うまでもなく、全ての企業は外部環境の変化にスピーディーに対応すべく、定期的に経営戦略を見直しながら事業を推進しています。これはつまり、経営戦略の一翼を担うCRE戦略についても、定期的にアップデートしていく必要があることも示唆しています。戦略立案に際しての多くの「前提条件」が大きく変わりつつある今こそ、改めてCRE戦略について深く検討することが求められていると言えるのではないでしょうか。
最終となる次回では、CRE戦略の具体的事例も交えながら、CRE戦略の「今」と「これから」について考えます。
4Return On Invested Capitalの略。「投下資本利益率」。ROIC=税引き後営業利益÷投下資本(有利子負債+株主資本)の式で算出され、調達したお金(=投下資本)に対して、どれだけ利益を出しているかを表現している財務指標。
5株価に対する年間配当金の割合を示す指標。国債利回り(リスクフリーレート)との差が投資妙味を示すイールドスプレッドであり、金利上昇(=リスクフリーレート上昇)の局面では、それに見合うだけの配当利回りの上昇が無ければ、投資家からすると当該株式に投資する妙味が薄くなることになる。
提供:法人営業本部 リサーチ・コンサルティング部
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