東京都心部を中心にヴィンテージマンションと呼ばれるマンションが存在する。東京カンテイでは築10年以上、坪単価300万円の物件のことを定義しているが、限られた条件を満たす物件はそう多くはない。その希少性から、一定の築年経過をしても未だ価格水準は高く、ニーズがあることがうかがえる。
今回は神宮前エリアに存する、1960年代の象徴ともいえる「ビラシリーズ」を開発当時の様子とともに紹介しよう。
ビラシリーズの1物件目となる「ビラビアンカ」が竣工したのは、1964年の東京オリンピック開催年のことだった。
神宮前の明治通りに面したビラビアンカは、明治通りから見上げるとすぐに目につく。日本初のデザイナーズマンションであり、当時は集合住宅が少なかったため、多くのメディアで取り上げられた。以降、ビラビアンカの近隣には「ビラ」の名を冠するマンションがシリーズとして建築されていく。
少し離れた神宮前3丁目に「ビラローザ」(1969年)、ビラビアンカの裏手には「ビラセレーナ」(1971年)、「ビラグロリア」(1972年)が建ち、ビラセレーナの並びに「ビラフレスカ」(1972年)が建築された。明治神宮を西に、国立競技場など明治神宮外苑を東に望み、その間を明治通りが南北に走るこの神宮前2丁目・3丁目エリアは、周知の通り、長く世界的なトレンドの発信地としてあり続けている。
ビラシリーズの価値について語るとき、そのデザインとともに特筆すべき点は、立地が抜群であるということだ。最寄り駅は東京メトロ「神宮前」駅、「北参道」駅、JR「原宿」駅などがあげられるが、繁華街の裏手は閑静な住宅街であり、各駅からも徒歩圏内、かつ都心の主要地へのアクセスも容易だ。
多くの高額マンションや、いわゆるヴィンテージマンションが価格を維持し続けている要素の一つは、「立地」によるところが大きい。もちろんデザイン性や著名人などが住むことによる付加価値もあるが、地価の高い場所に、5物件まとめて供給されたことがビラシリーズのステータスを保持し続けている理由の一つであると言えよう。
一方、建物の構造に目を向けてみる。まず、ビラシリーズに共通しているのは、低層で、かつ雁行型であることだ。
雁行型とは、マンションの形状のことを指すが、いわゆる箱型のマンションではなく、各住戸を斜めにずらして配置する形式のことである。雁行型の設計では、開口部が多くなり、どの住戸にも十分な採光を確保できるというメリットがある反面、一般的なマンション開発に照らせば容積率に余裕ができ、損失部分が大きい。つまり雁行型は、居住性を重視して設計された、ゆとりの象徴であると言える。
ビラシリーズの設計においては、著名建築家を起用してデザイン性を追求した。ビラビアンカとビラローザの設計は堀田英二氏、ビラグロリアは大谷幸夫氏という建築家たちが、ビラセレーナ、ビラフレスカは坂倉建築研究所という設計事務所が名を連ねる。ビラセレーナの目を引く黄色のカラーリングや、窓が大きく、コーナー窓などが取り入れられていることなども外観の美しさを形づくるポイントだ。
デザイン性の高いマンションは、感性豊かな有識者にも好まれることが多い。ビラビアンカはその代表格であり、美術評論家の青山二郎氏が終の住処として過ごしていたことでも知られる。著名人がひとたび住むと、関係者やその志向に共感する人びとの出入りも多くなる。昭和の時代には、有識者のお茶会やサロン的な機能をも果たす場となっていたのだ。
建物の構造や外観に余裕を感じるヴィンテージマンションは、間取りや内装にもこだわりが多い。
例えばビラビアンカ、ビラセレーナでは、「円」が意識的に設計に取り入れられている。丸みを帯びた窓、螺旋階段、共用部分の吹き抜けも円筒型の空間だ。構造的に効率の良い角型に比べ、円の設えは建築コストを押し上げる。コストをいとわずに美しさを追求していることも、住む人のロイヤルティを引き上げ、ファンを増やしている要因だろう。
さらに間取りについても注目して欲しい。現代では当たり前となっているLDKの仕様はビラシリーズが竣工した1960年代~1970年代にはまだ珍しいものだった。当時は団地型の集合住宅が増え始め、「台所」と「食事室」を兼ねたダイニングキッチンの考え方が誕生した時期で「2DK」が集合住宅の最も汎用的な間取りとなった。一方、ビラフレスカの間取りは、1972年当時、既にLDKを採用しているのだから驚きだ。
今、この間取りを見ても風化しているように感じない。むしろ7階に「庭園」や「テラス」が設けられている点などはモダンさを感じるところだ。また、昨今のマンションでは見ることがないものとして特徴的なのは、ボイラー室があることだ。
当時、空調やガスがセントラル方式であったことが影響している。西洋のデザインや様式を意識しながら、一方で和室などの日本の様式を取り入れる、いわば「いいところ取り」をした先進的な仕様であった。
築50年以上となる物件もあるビラシリーズだが、いまだ大幅な価格下落はしていない。ビラシリーズの価格動向は、東京カンテイが販売価格調査を開始した当時から、概ね10年サイクルで価格の上下幅は出ているものの、2022年現在では再び上昇傾向にある。
この物件価格の上下変動については、物件固有の価値変動というよりは、不動産市場や景気連動によるところが大きいが、50年以上経っても価格が上がり続けていることは特筆すべきだろう。
ビラシリーズは低層住宅で総戸数が各物件20戸~25戸程度と供給は少なく、需要(購入を希望する人)は多い。仮に売却物件が出ても市場に情報が公開される前に概ね成約となってしまい、データを追跡しても過去統計上で空白の情報が多い。それほどこのビラシリーズは人気の高い物件であることがわかる。
ところでヴィンテージマンションと呼ばれるマンションは主に東京23区、特に港区や渋谷区を中心に存在しているが、なぜこうした都心部に限られているのだろうか。その時代背景については、第二次世界大戦後までさかのぼる。
1950年代前半の23区は空襲で家屋が焼失したことにより、多数の空き地が生まれ、そこには、復興を進めるべく多くの戸建てや集合住宅が建築された。
しかし、高度経済成長期に差しかかり、物価の高騰が進み、土地価格や建築価格も徐々に向上していく。広い敷地を要するマンションを建設するには23区の土地価格水準では見合わなくなり始めたのだ。
そこで1975年前後にブームとなったのは、多摩ニュータウンをはじめとした、郊外の公団住宅やマンションの開発ラッシュだった。未開発の土地に廉価コストのマンションを大量に建設することで、国民の住居需要を担保したのだ。結果、23区を中心とした都心に開発されるものは、高所得層を対象とする高価格帯のマンションに限定された。設計・デザインや建築にコストをかけたクオリティの高い少数の建築物が今もなお残り、維持されている。
ビラシリーズは、まさに時代の変遷を得ながらもその価値を失わず、神宮前のマンションを代表し続けている、ヴィンテージマンションとして象徴的な物件といえよう。当時居住していた人びとは、文化的な時間を過ごすだけではなく、今見ても色褪せない先進的で豊かな暮らしをしていたことが伺える。モダンな建築物としてはもちろん、街の歴史とともに語られるヴィンテージマンションだとして一見の価値はあるだろう。
<画像提供・協力>
興和商事株式会社「VILLA SERIES」
1964年東京生まれ。89年マンションの業界団体に入社、以降不動産市場の調査・分析、団体活動に従事、01年株式会社東京カンテイ入社、現在市場調査部上席主任研究員、不動産マーケットの調査・研究、講演業務等を行う。
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