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2024.01.23

政治・経済・文化の中心地、千代田区の歴史と現代ヴィンテージの象徴「パークマンション千鳥ヶ淵 」【後編】街を彩るヴィンテージマンション(3)

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日本の政治・経済・文化の中心地として繁栄する千代田区は、由緒あるヴィンテージマンションが多数存在する稀有なエリアだ。

後編である本記事では、前編「政治・経済・文化の中心地、千代田区の歴史と現代ヴィンテージの象徴『パークマンション千鳥ヶ淵』」に続き、エリアの代表的なマンションであるパークマンション千鳥ヶ淵を中心に据えながら、ヴィンテージマンションの歴史の変遷を中心に考察をしていくこととする。

パークマンション千鳥ヶ淵がマンション市場に与えた影響

2004年のパークマンション千鳥ヶ淵の登場は、マンションの一戸あたりの平均価格や平均坪単価を大きく跳ね上げ、その存在感を知らしめた。1991年~1993年頃にバブルが崩壊して以降、しばらく新築高額マンションの供給は見られず、90年代後半に竣工したマンションのグレードはさほど高くない。東京カンテイで1956年~2018年の1戸平均価格の高額マンションランキングで考察した際にも、残念ながら1990年代後半以降のマンションはランククインできていない。

こうした状況下で2000年以降に久しぶりに登場したのがークマンション千鳥ヶ淵だ。東京カンテイが調査した、2000年?2018年までに分譲された、1戸平均価格高額マンションランキングでもパークマンション千鳥ヶ淵は2位にランクインしており、2000年以降、トップクラスの価格であることがうかがえる。

2000年以降に分譲された新築マンションの価格ランキングで、パークマンション千鳥ヶ淵は2位にランクインしている(資料提供:東京カンテイ)

パークマンション千鳥ヶ淵の販売当時、当時の周辺相場からすれば相対的に販売価格を高く売り出した印象があった。しかし、現在のマンション販売価格の相場は、2000年代当時と比較すると2倍近くになっている(2023年11月時点のノムコム調査では参考相場価格の中央値が6億830万円)。これを鑑みると、圧倒的な設備や内装投資が行われていた当マンションは、決して高すぎたともいえないのではないだろうか。

時代の変遷により減少している、重厚なヴィンテージマンション

2000年代に入って、ヴィンテージマンションの中でも前述のパークマンション千鳥ヶ淵をはじめとする「新・高額マンション(と東京カンテイでは表現している)」が登場する。

緑豊かな景色が望むことができる番町エリアのマンション

これらは、1980年?90年代に建設されたレトロタイプのヴィンテージマンションとはまた違うヴィンテージ感があり、重厚感が1、2段階アップしているともいえる。

例えば外観について、高価で良質な部材を使用しているだけではなく、デザインの細部にもこだわりと斬新さを感じる。特に車寄せなどを設けているマンションは、ホテルライクでもある。こうしたディテールまで手を抜かないところが1990年代以前とは異なる、2000年代初頭の「新・ヴィンテージマンション」だ。

重厚感のある仕様で、壁の厚さや柱の入れ方に妥協がなく建設をすると、躯体が非常に強固である。つまり長く定住が可能だという点でも、物件にさらなるバリューが付加される。2000年代の物件は一見、新しく見え、ヴィンテージマンションと感じ難いかもしれないが、富裕層を中心に良質なマンションとして密かに注目されているようだ。

躯体が強固でコスト投資がされている物件は、居室内の設計にもこだわりを持つ。例えば専有部内の廊下が長く設計され、空間を贅沢に使っている点がわかりやすい。また、インナーバルコニーや、廊下、洗面部、バスルームなど、各所に多くの窓が設置されているなど、特殊な設計がなされている。新しいヴィンテージマンションの原型は、この時代にできあがったと言っていいだろう。これら超高級マンションの間取りについては以前の記事「『超高級マンション』の間取り探訪~その小宇宙の歴史と意義~」も参照されたい。

ゼネコンの変化に専有面積の狭小化。垣間見えるコスト圧縮

1980年~90年代に建設された高額ヴィンテージマンションの時代には、スーパーゼネコンと言われる年間の売上高が1兆円を超えるような数社によってマンションが施工されていた。ところが近年になるにつれて、ゼネコンの顔ぶれは変化をしていく。

その顔ぶれはスーパーゼネコンから、JV(ジョイントベンチャー、複数の企業が出資して新しい会社を立ち上げて事業を実施する形態)での建設や大手ゼネコン、中級規模のゼネコンによる建設へとシフトしたことから、建設コストの圧縮状況が垣間見える。

東京カンテイが調査した2000年以降千代田区番町周辺の竣工時マンションデータベースによると、こうしたスーパーゼネコンによる建設事例がやや減少し始めているのが2015年前後のことだ。この年代あたりから地価は緩やかに上昇し続けており、全体の予算に占める土地代の割合が増えたために、建築費の圧縮に踏み切ったことが容易に推察される。

同時に、一戸当たりの専有面積の減床もうかがえる。面積狭小化の推移については、2000年代中頃まで各居室の平均面積が平均100m2~平均120m2程度あったものが、次第に経年と共に減床し、2000年代半ばには2LDKの間取りで面積70m2の住戸が登場する。

さらに、2020年前後には面積50m2、1LDKの間取りの住戸が登場した。つまり近年、番町周辺のマンションにおいても、間取りと面積のバリエーションに関しては、他エリアの一般的なの分譲マンションとさして変化のない顔ぶれとなっている。

千鳥ヶ淵公園に沿う形で存する番町エリア

建物に大きく投資できた唯一無二の時代、それが2000年代

なぜ2000年代初頭はこうした物件が多いのだろうか。それは当時地価が底値だったことが影響している。土地の価格は2003年を底値に反転しており、現在もなお高騰している。

2000年代当時と土地の価格の比較をすると、およそ1.5倍に上昇していることもあり、昨今はマンション販売価格が著しく高騰している。用地取得コストが上がる中で、マンションの販売価格を相場から急激に乖離しないように一定の範囲に収めるためには、建物および設備にかかるコスト抑えざるをえない。また同時に人件費や建築資材の価格も上がってきたことは周知の通りだ。

つまり、現在の新築マンションは土地価格の高騰に合わせて付帯設備を簡素化する、部材のグレードを下げる、間取りをシンプルにするなどのコストカットを行い、販売価格を抑えているケースが散見される。さらに現在は土地のまとまった供給がほとんどないため、区内で大型プロジェクトのマンション供給は難しくなっていると推察される。

このような近年の傾向を見ても、2000年前後のヴィンテージマンションは、現在よりも土地を安く仕入れ、「上物にコストを大きく投資できた唯一無二の時代」だったと言える。贅を凝らした高額物件が一気に花開いた時代であり、その時代を代表したのがパークマンション千鳥ヶ淵だったのだ。

井出武(いで・たけし)

井出武(いで・たけし)

1964年東京生まれ。89年マンションの業界団体に入社、以降不動産市場の調査・分析、団体活動に従事、01年株式会社東京カンテイ入社、現在市場調査部上席主任研究員、不動産マーケットの調査・研究、講演業務等を行う。

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