日本の政治・経済・文化の中心地として、江戸時代以前より中核を成してきたエリア、それが千代田区である。もちろん当該エリアにも代表的なヴィンテージマンションは存するが、これを把握するためにはまずは街の歴史を紐解き、考察していくことが欠かせない。
本稿では、千代田区の街の歴史を振り返りながら、エリアの代表的なマンションであるパークマンション千鳥ヶ淵を中心に、現代のヴィンテージマンション事情についても解説する。
東京23区の原形となる「区」が設置されたのは、1878年(明治11年)のことである。当時、郡区町村編制法によって現在の千代田区、中央区、港区、新宿区の一部、文京区、台東区、墨田区の一部、江東区の一部に15区が設置されたのが始まりだ。現在の千代田区はその後、1947年(昭和22年)3月に当時の神田区と麹町区が合併して誕生した。千代田区の名前は、江戸城の別名である千代田城にちなんだものだという。
この土地は、豊臣秀吉が当時天下統一の最終過程として、徳川家康に対して、関東への移封を命じたことから家康の領地として組成された。しかし、当時の政治・経済・文化の中心地は京都と大坂だ。当時の江戸は未開の地であったことから、家康にとっては絶望的な心境だったのではないだろうか。
とはいえ、江戸時代の関東平野の中でも千代田区に該当する場所は強固な地盤を持ち合わせており、地震の影響が少ないエリアでもある。城を作るには適した場所だったのだろう。
また当時、千代田区の東側には海が広がっていた。実は皇居の東側は、埋め立てられた土地である。現在の東京湾、神田や秋葉原、東京駅も含めて地盤が軟弱なのは、この埋立によって形成された土地だからという理由が存在する。今となれば千代田区を江戸の中心となる城の建設地として選んだことは必然だったのだろう。つまり、江戸城は戦略に選定された立地に建てられたといえる。
千代田区内は多数の地番が存在する。なかでも「番町」は、日本で最初の高級住宅街ともいわれ、一番町から六番町までが存在する。
現在の番町と呼ばれる場所は、徳川家康が将軍直属の家臣である、旗本の武家集団を親衛隊として住まわせた場所である。親衛隊はそれぞれ一番組から六番組まで編成されており、彼らの屋敷地が一番町から六番町だったことから現在の地名の由来となっている。このように番町は、江戸城を守るための町として組織されていた。
不思議なのは、地図上での番町の並びである。もともと一番町から六番町までの並びは番組に応じたもので順不同であった。これを今からおよそ100年前の関東大震災後、街を再組成するために千代田区が番地の再編を行った際、一番町から六番町まで順番に地番を並べ変えた。ところが、1930年代以降に改めて位置を入れ替えて再編され、現在はまた地番がいびつな並びになっている。
千代田区といえば、現在はオフィスビルが多い印象だが、実は皇居に一番近い住宅地が広がる街といえる。
不動産登記事項証明書を確認していくと、区内の土地建物は旧来から法人所有であることが多い。当時から法人の経営層、およびトップに就くものがそこに住みながら働くということが多いことが推察される。
その代表例としては、住居付き事務所という用途がわかりやすいだろう。鉄筋コンクリート造(RC造)の中層および高層ビルの上層階に自宅フロアがある、あるいは屋上にペントハウスとして自宅が設けられており、下層部は事務所および店舗として使用されている建物が多い。
一見、中高層の共同住宅に見える建物も、不動産登記事項証明書を確認してみると、区分登記してない物件も散見される。これはつまり、所有者が一棟を所有しているこということだ。
何しろ千代田区は都心5区の一つであり、代表的な一等地である。その固定資産税額は高額なものになるはずだ。この税金を支払う体力のある人となれば、それなりの規模の法人の経営層の住居、あるいは有名企業の社宅として所持される以外に他ならないのだろう。
こうした共同住宅のうち、特に千代田区番町エリアの象徴であるヴィンテージマンション「パークマンション千鳥ヶ淵」に注目をして紹介しよう。
東京メトロ東西線「九段下」駅から徒歩8分、千鳥ヶ淵公園へ徒歩5分ほどで到着する絶好のロケーションで、東側に千鳥ヶ淵公園を望め、桜の季節をはじめ一年を通じて季節の移り変わりを感じることができる環境だ。
全64戸の当該マンションは、もともと「フェアモントホテル」が営業していた土地で、惜しまれながらも営業終了した後、跡地に立ったのがパークマンション千鳥ヶ淵である。「日本が誇れる最高グレードのマンション」というコンセプトのもと、2004年に竣工した。東京カンテイ資料によれば、当時の価格で1戸あたりの平均価格が3億2962万円という超一級マンションである。
実は千代田区には、一定のまとまった規模の土地がそう多く存在しない。細かく土地の所有者が異なり、かつ法人所有であることが多いのだ。そのため、こうした広大な土地を探してマンションを建設するのは至極難しいのだろう。フェアモントホテルの跡地のように、まとまった規模の土地が空いた際に、マンションの建設をするケースが多いのではないかと推察する。
このように2000年代に供給されたヴィンテージマンションの象徴として語られる、パークマンション千鳥ヶ淵。まず間取りのダイナミックさに目を引く。全室通じる内廊下がゆとりをもって設計され、間取りも四角形ではなく、変形した仕様だ。
平均100m2以上が取られている専有部分の各居室は、リビングに30帖ほどを利用し、1室ごとに余裕を持った面積を保っている。また内装にもこだわりをもつ。例えば千鳥ヶ淵公園が望めるユーリティバルコニーやワインセラーの常設、円形バスタブの導入などだ。最近は超高級マンションでもユニットバス、セミユニットバスが多くなっているが、当該マンションではあくまでも円形バスタブというこだわりを感じる。
マンションを建設する際に、経済合理性を優先して、よりコストをかけずに居室の広さを保ちたいと考えるなら、供給者は自ずと長方形の居室や間取りを設計するため、複雑な矩形の間取りを採用しない。ゆえにこのような間取りには、設計者の強いこだわりを感じることができる。このようなゆとりや遊びのある作りをするのが、ヴィンテージマンションの風格なのだろう。
1964年東京生まれ。89年マンションの業界団体に入社、以降不動産市場の調査・分析、団体活動に従事、01年株式会社東京カンテイ入社、現在市場調査部上席主任研究員、不動産マーケットの調査・研究、講演業務等を行う。
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