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今回は、病気との付き合い方について述べながら、「前半・中盤の人生で凹んだ経験が、いかに後半の人生を豊かに彩ることに効いてくるか」という話をしようと思う。
とは言っても、悪性のガンや難病の話ではない。あくまでも誰もがかかる病気や心身症や生活習慣病の範囲の話だ。
私自身は現在、高脂血症で3ヵ月に1回は主治医(脳外科医)に血液検査をしてもらっている。去年初めて脳ドッグも受けたし、今春にはすべてのガン系の検査もやってもらうつもりだ。
もともと家族性(遺伝性)の「高脂血症」で、痩せているのに30代からコレステロールが人の3倍、中性脂肪が2倍あった。お酒も飲むし、一番悪いと言われるラーメン・焼き肉・ハンバーガーが大好きだったから無理もない。会社の健康診断でも必ず引っかかっていたが、体調が悪いということはなかったので放っておいたのだ。一度だけ本気で肉類や油物を断ってみたことがあるのだが、安定的だった60キロの体重が50キロ前半になり、明らかに元気が無くなったので慌てて元に戻した。
このままいくとどうなるのかと医者に聞くと「今はいいけれど、60代を過ぎる頃から疲れが目立ってくると思いますよ」と脅かされた。脳梗塞など脳血管系の病気で突然倒れるリスクも多くなるという。それでも治そうとは思わなかった。
ところが、数年前「ビートたけしのTVタックル」に教育を語るゲストとして出演中、突然耳鳴りがしたかと思うと頭痛が始まった。私は決して頭痛持ちではない。続いて右耳が聴こえなくなり、目の焦点が合わなくなって本当に慌てた。眼鏡を取って水を飲むくらいしかやることがない。タイミング悪くレギュラーの大竹まことさんが私に質問してきたが、どう答えたかまるで覚えていない。「ついに脳に来たか!」とそれどころではなかったのだ。番組中に倒れて運び出されたらどうしよう・・・みっともないなあ・・・などと、くだらないことしか頭に浮かばなかった。
なんとか本番を乗り切った私は、翌日すぐに主治医のいる女子医大に検査に行った。CTも撮ったが、脳自体には異常はないという。結局、なんらかの理由で血圧が急上昇したのだろうということに落ち着いた。
それ以来、高脂血症を抑える薬(降圧剤ではない)を飲み続けていて、3ヵ月に1度の検査を欠かさない。最低限の健康管理だ。年齢相応に暴食はしないようになったが、大好きなラーメンは止められない(笑)。
もう一つ、付き合いが続いているのは「頚椎症」だ。
多分、大学時代にスキーで大転倒した時にやってしまったのだろうと思うが、首のコリとは40年の付き合いだ。コリが極まると血流が詰まったように感じ、頭が働かなくなる。もともと猫背なのに加えて目が悪いから、ついつい首が前に出るし、パソコンで原稿を打つからさらに姿勢が悪くなる。だから、一生の付き合いだ。
薬で麻痺させたり、手術をする手もあるようなのだが嫌なので、毎週整体に通うことで誤魔化している。奈良では沖縄出身の上手な指圧師と出会えたので、毎週、施術を受けながら奈良の情報を交換している。地方に講演に行った時にも、イオンモールや街角のマッサージ店にお世話になったりするのだが、指圧師は頭も良く世間の情報に明るいので、その地方の状況を取材するにはピッタリなのだ。
30代の頃に悩まされたのが、心身症の一種である「メニエル」という病気だ。
日曜日の朝、目が覚めて寝返りを打った時、突然天井がグルッと回った。アレッおかしい・・・とトイレに駆け込むと、立ち上がった拍子に目の前のドアがまたグルッと回った。この時も、脳に来たかなと思った。仕事も遊びもセブンイレブン状態で疲れがたまっていたし、その頃、リクルートのデジタル回線リセール部隊の部隊長をやっていて、自分の「やりたい仕事」と「やるべき仕事」の間で精神的な股裂き状態になっていたからだ。
週明けすぐに内科医に行って検査を受けたのだが、最初は原因不明で病名が特定できずに焦った。「お疲れなんじゃあないですか? ビタミン剤出しておきますから、ゆっくり休んでくださいね」などと言う。その間にも目は回るし気持ちが悪い。明らかに変なのに、人間というのは病名を特定してくれないと安心できない動物なのだとわかった。
結局、医者巡りの3軒目か4軒目だった耳鼻科で「ああ、目眩がするんですね。明日から通ってください。注射を打ちますから」と診断が出た。対処療法として体のバランス感覚をつかさどる耳の神経を注射で麻痺させることで目眩は止まった。
その後、自分で調べ尽くし、これはストレスによって三半規管の機能に異常が起こる「メニエル症」の一種だろうと確信を持った。午後になるとボーッとする後遺症が残ったから、私は東京営業統括部長という大部隊を率いる役職を降りることにした。専門家としてのキャリアを歩むきっかけになった事件だ。
今では、同じように起こる目眩でも、突発性難聴とか軽い脳梗塞というような診断が下ることもあり、メニエル同様に心身症の一種であることも分かった。
私の人生の中では、上記の3つの病気~「高脂血症」「頚椎症」「メニエル症」~との付き合いは、第8話で語った山と谷で表される「人生のエネルギーカーブ」の谷の部分にあたる。
更に人生を遡れば、サッカー少年だった私が、入学した中学校にサッカー部がなかったことは大きなショックだった。打ち込めるものが見つからず、悶々とした中学時代を過ごすことになったからだ。
また、受験という大きなイベントを終えて入学した大学で、やはり目標を見失って「五月病」にかかった。ここでも部活に入部することができなくて引きこもりのようになってしまった時期がある。
こうした大きな挫折や病気の他にも、数え切れないほどの失敗や落胆や怪我はある。
成功体験や興味のあること、得意なことをして人生が盛り上がるプラスモードの時期にはエネルギーカーブは「山」を描き、挫折や病気や失敗をともなうマイナスモードの時期には「谷」を描くだろう。
例として以下に私の山と谷の図を掲載するので、こちらをもとに改めて考えてみたい。
こうした谷は不幸な時期だから、いらなかっただろうか。できたら、ない方が良いのだろうか。そうすれば、人生に山ばかりが続いて幸せだったのだろうか、と。
違うのではないかと私には思えてくる。山があるから谷があるというより、思い返してみると、谷があったから山が生まれたのではないだろうか。
さらに大事なことは、あなたが体験した「谷の記憶」(挫折、病気、失敗などマイナスモードの体験)を面白おかしく話せると、それがあなた自身の無形の財産になるということだ。
なぜなら、あなたを取り巻く他者は、プラスモードの自慢話より、マイナスモードの体験談を聴きたいからだ。現に、自慢話しかしないオヤジからは友達が離れていくし、逆に、マイナスモード体験の語りはあなたの味方を増やすだろう。
だから、前半、中盤の人生で谷の経験が深い人ほど、後半の人生で仲間を引き寄せる力をもつことになる。言い換えれば、前中盤の人生での谷の面積が大きければ大きいほど、後半の人生にはプラス効果として反転して出てくる。
そのように考えれば、あなたの病気との付き合いも人生にとって大切な体験になるのではないだろうか。
コミュニティで豊かな人生を謳歌する第一歩は、「山の記憶」で獲得したプライドを捨て、「谷の記憶」を語り出すことから始まるのだ。
教育改革実践家/『人生の教科書[家づくり]』著者
1955年東京生まれ。東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、1993年よりヨーロッパ駐在、96年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。2008~2011年橋下大阪府知事特別顧問。14年武雄市特別顧問、2016年春から奈良市立一条高校校長に就任。
リクルート在職中に注文住宅・リフォーム情報誌の創刊に携わる。37歳から家族でヨーロッパに移住。自然豊かなロンドンの住宅やパリのペントハウスに住んだ経験を活かし、東京に家を建て、2016年4月より奈良市に91歳の父と85歳の母と同居。
「よのなかnet」藤原和博のデザインワーク
http://www.yononaka.net/
人生の教科書[家づくり]―筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480421623/
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