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老後の暮らしとお金のコラム60歳からの教科書『豊かな住まい方』

2017/03/01
近居と同居、どっちがいい?

昨年3月まで私は東京にいて、4月から91歳で介護度3の父と85歳で元気な母と奈良に転居して3人で暮らしていることは前回述べた通りである。

【近居】【同居】というテーマについては、「抽象論」「べき論」「机上の空論」を一切避けて、私自身の経験から語ろう。

東京での「近居」を振り返る

東京では、永福町の私の家から父母の暮らす実家まで2駅の距離だったから、両親とはまずまず、いい感じの関係を保ってきたと思う。近居については「スープの冷めない距離」という比喩がよく使われるが、私たちの場合、「歩いて数分以内」という距離ではないにせよ、電車なら15~20分、歩いても30~40分くらいだったから、ちょうどいい距離にあった。子どもたちと犬を連れて自転車で実家に行ったり、父も元気な頃はよく歩いて散歩に来たりした。

この記事を読んでくださっている読者の方々が主に60代だとすると、孫が遊びに来る年回りだろうと拝察するが、孫のお世話ができるくらいエネルギーがあり余っている場合は(微笑)、子世代との近居はアタマの刺激にもなるしお勧めだ。

ただし、二世帯住宅を建てたりして同居した方がいいかどうかは、人間関係による。姑と嫁の関係も難しいが、たとえ実の娘であったとしても、大人同士の関係となると複雑な事情がからむからだ。

もっともこれからは夫婦共働きを基本とする政策が主流になりそうだから、祖父母の孫育てへの参戦は、相続税で優遇される資金面の支援も含めて、ますます期待されることになるだろう。保育園への送り迎えの利便を考えても、近居がいい。

うちでは、こんなこともあった。父が夜中に具合が悪くなって母が救急車を呼んだ時、救急車が搬送してしまう前に私が駆けつけることができた。近居だったからである。そのまま母と救急車に乗り、病院で緊急手術を受けた。大動脈瘤が破裂しそうになっていたのだが、結果的には一命を取り留めた。

子どもに必要な「ナナメの関係」を近居・同居で

ここで、現在高校の校長を務める者として、教育的な立場から、祖父母との関係が子どもに及ぼす影響についても触れておきたいと思う。

奈良市立一条高校にかかる虹

子どもは、親や先生との「タテの関係」や友達同士の「ヨコの関係」の中で生活している。まず「タテの関係」だけでは、どうしても教え(もしくは指示命令)に従うかどうかの関係になる。従うか、従わないで反発するか、である。

では、ヨコの関係でならコミュニケーション能力が育つかというと、そうはならない。なぜなら、同じカルチャーの中で育った者同士なので、言葉を交流させなくても通じ合うようなところがあるからだ。ニンテンドーDS片手にゲームをやったり、スマホでポケモンGOをして遊んでいれば、無言でも仲良くなれる。

だから意外に、ヨコの関係だけでは自分の意見を発言したり、相手から思いや考えを引き出すようなコミュニケーションは育たない。日本語は「独り言の応酬」とでも呼べるような、つぶやきを重ねていく傾向が強いから、価値観が異なる他者と関係を切り結ぶ技術を十分に練習する場がないこともある。

だからこそ、お兄さん、お姉さん、おじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんという立場の人たちとの「ナナメの関係」が大事になるのだ。学校における部活動での先輩、後輩の関係も含まれるが、利害関係のない第三者との関係だ。

ナナメの関係が豊かな子は、自然にコミュニケーションの機会に恵まれる。ナナメの関係の大人とは、上下の支配関係ではないし、友人との「なあなあの関係」でもないから、自由なコミュニケーションが引き出され、感受性の訓練になるのだ。

あなただって、会社や役所のような組織で直接上司に説教されるより、たとえ同じ指摘を受けたとしても、ナナメの関係の先輩から言われた方が、はるかに聞く耳を持ったという経験があるのではないかと思う。

同居、近居は、あなたの大切な孫の教育という観点でも、コミュニケーションを創出して感受性を養う、よい機会となるのだ。

現在進行形の同居を経て、感じていること

現在は前述の通り、奈良で両親と同居している。
私は一人っ子で、27歳まで親のマンションに居候していたから、東京の高い賃料を払わずに済み、とても助かったという恩がある。

今また、私が60歳にして両親を連れて奈良に来たのは、父親のリハビリのためもある。手術を終えた後、父はマンションの部屋を出なくなっていたので、足腰がすっかり弱くなっていたのだ。奈良公園に近いところに住んで毎日鹿に餌をやりに散歩させれば、ちょっとは元気になるだろうと考えた。「鹿セラピー」と勝手に名付けたのだが・・・。

若草山の鹿の親子

今のところこの狙いは当たり、表情も豊かになったように思う。一緒に夕食を食べ、ときに自ら介護に参戦することで、母の苦労を直接体感することができたから、改めて感謝の念も深まっている。近居では、正直に言うと、見て見ぬ振りだったかもしれない。

私からすると、両親の人生の終盤に改めて3人で同居するのは一種の親孝行のつもりもあった。だがしかし、たとえ実の親子であっても、もはや大人同士であるから、いい面も悪い面も入り混じる。

朝出かける前にトイレに入りたい時に、父がゆっくり占拠していたりすると、いらない苛立ちも湧いてくるのだ・・・。

トイレはやっぱり、1階、2階とで分けておくのが同居の知恵かもしれない(笑)。

執筆者:藤原和博

教育改革実践家/『人生の教科書[家づくり]』著者
1955年東京生まれ。東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、1993年よりヨーロッパ駐在、96年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。2008~2011年橋下大阪府知事特別顧問。14年武雄市特別顧問、2016年春から奈良市立一条高校校長に就任。
リクルート在職中に注文住宅・リフォーム情報誌の創刊に携わる。37歳から家族でヨーロッパに移住。自然豊かなロンドンの住宅やパリのペントハウスに住んだ経験を活かし、東京に家を建て、2016年4月より奈良市に91歳の父と85歳の母と同居。

「よのなかnet」藤原和博のデザインワーク
http://www.yononaka.net/

人生の教科書[家づくり]―筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480421623/
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