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老後の暮らしとお金のコラム60歳からの教科書『豊かな住まい方』

2017/10/02
実は、遺言しておかないと・・・の話

「病院で死ぬか? 自宅で死ぬか?」
これは、2017年5月13日(土)の一条高校「よのなか科」の授業で、生徒の一人が先生になって取り上げた授業のテーマだ。よのなか科は、希望する高校生や保護者と大学生や社会人が、クリティカルシンキングを通じて正解が1つではない世の中の問題を考える授業。当日は、合わせて60名ほどが激論した。60代の読者にとっては、いわゆる「終活」の究極の課題であろうと思う。

実は、遺言しておかないと、倒れて救急車で病院に運ばれた際、一旦集中治療室に送られて意識が戻らなかったら、不本意にもチューブに繋がれた死を迎えることになる。
日本人は最後の2週間で一生分の医療費の半分を使うとも言われている。
病院の高度医療のお世話になり、延命治療を施してもらうのか。それとも、自分の意思で自宅にとどまり、家族との最後の時間を過ごすのか。後者の場合には、誰に在宅での医療、看護、介護をお願いするのか。
自分の意思で決めておかねばならない。

先生役の生徒はまず、大人を含めた参加者に、テーマに沿って調べてきた内容を5分間でプレゼンする。基本的な情報を共有し、議論の土俵を整えるためだ。次の5分間で参加者にディベートをさせ、最後に意見を集約する。面白い意見をピックアップして、先生がやるように指名するのも生徒の仕事だ。

Aくんの授業では、まず末期医療関連のニュースが5分間で共有され、次に「病院なら余命1年、自宅なら1ヶ月と宣告されたら、あなたはどちらを選びますか?」という究極の問いかけに対して参加者間で5分間ディベートを行なった。
意見の中には本質的な指摘がいくつも混じっていたので一部を披露してみよう。

病院派:「薬の副作用で苦しんで弱っていく姿をなるべく家族、とりわけ子どもには見せたくない」「周りの人に元気な時にお見舞いにきてもらって病院で話をしたい。自宅だと友人や会社の人はかえって訪問しにくいだろう」

自宅派:「もしそれが親なら、いっぱい迷惑かけたので、死ぬときぐらい逆に迷惑かけられてもかまわない」「VR(バーチャル・リアリティ)メガネをかけて死ぬのはどうか。現実的には肉体は病院にあるんだけれど、見ている映像は好きな場所での家族との思い出に浸っていて、精神的な面では家で死ねる、みたいな」
この「VRの中で死ぬ」というアイディアは、AIが進化するこの10年以内に間違いなく実現する技術だろう。

この授業の様子はユーチューブ(15分)でご覧いただける。
https://www.youtube.com/watch?v=RAPLKEa3toA
また、一条高校の「よのなか科」については「一条LABO」を参照されたい。
http://ichilab.jp/yononaka/

現実には、家族と医者や看護師などの病院関係者のすべてが善意だと、逆に自分の身に最悪のことが起こる可能性がある。いくつものパイプに繋がれ、死んでいるのに生かされているような状態で、ひたすら延命のための高度医療を施されることがあるのだ。 
私は大変尊敬していた義理の父(癌研院長で日本癌学会会長も務めたまるで「赤ひげ」のような医師)の死について、かつて拙著『プライド 処生術2』(新潮社/2000年)に詳述させてもらった。医師となった長男に最後まで自らの病状を刻みこもうとする姿は印象的で、どう死ぬかについて深く考える機会になった。

その後、私は自分の父母が「尊厳死」を希望して、いざという時の高度医療を拒否する遺言をしていることを知り、自分自身もほぼ同じ文言で手書きの遺言を書き、携帯するようにした。

「尊厳死 私の病気が現在の医学で不治の状態ですでに死期が迫っていると診断された場合(脳・血管障害等、快復の見込みがない)、いたずらに死期を引き延ばすための延命措置はしないでください。

ただし私の苦痛を和らげる措置は最大限に実施してください。そのため例えば、麻薬などの作用で死期が早まったとしてもかまいません。
私が植物状態に陥った時は、一切の生命維持装置を取りやめてください。

最後の時になると、医師にも看護師にも身近な人にも私の声は届かなくなるでしょう。ですから、ここに書き残します。
以上の遺言の期限はありません。      平成24年11月27日 藤原和博」

ダイアリーに常に挟み込んである。しかし、単独で倒れた時には、果たしてこの文書が発見されるかどうか保証はない。また、「いたずらに・・・」という表現がやや曖昧な気もする。つまり、これを書いたからといって有効に機能するとは限らない。

実際、数年前に父がトイレで動けなくなったことがある。母から夜中に電話があり、私も車を飛ばして駆けつけたのだが、血圧検査を終えた救急隊員に「運びますか、どうしますか?」と決断を迫られ、結局救急車に。
この時、病院で母はこの遺言のことを言い出そうとしたが、言えなかった。
医師から夜中に「今から緊急手術をします。麻酔医を自宅から呼んでいるのですが、彼が到着次第、多分破裂し始めている大動脈瘤の摘出手術をやりますから、ここ(同意書)にサインしてください」と迫られた。医師に他意はない。ありがたいことに、助けたいという使命感で動いてくれている。そんな人に面と向かって悪魔のように「いや、その手術はいりません。」とは言えない。

結果的に父は助かった。父は20代の時、太平洋戦争の末期に特攻同様の船に徴用され、台湾沖で潜水艦の魚雷に沈められた。全身の血液の3分の1が流れ出ながらも奇跡的に生還した。
60代では脳に膿瘍ができたのだが、頭蓋骨に穴を開け、外部から注射器で膿を吸い出す難手術が成功した。そして80代で再び、腹にできていた10センチ近い大動脈瘤に気づかず、破裂寸前に運ばれて命を拾った。3度までも、救われたのだ。

今、奈良でその92歳の父(介護度3)と86歳の元気な母と同居しているのだが、万が一この瞬間に倒れ、目の前で意識を失おうとする間際に、救急車を呼ばないで死なせる覚悟が自分にあるかどうかは怪しい。
とくに、痛がったり苦しんだりした場合、それを目の前にしながら救急車を呼ばないで「尊厳死」をさせてあげられる自信は、正直言って自分にはない。
では、60年間以上連れ添った母なら、果たしてそれができるのか?
・・・うーん、難しい。答えは出ない。

執筆者:藤原和博

教育改革実践家/『人生の教科書[家づくり]』著者
1955年東京生まれ。東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、1993年よりヨーロッパ駐在、96年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。2008~2011年橋下大阪府知事特別顧問。14年武雄市特別顧問、2016年春から奈良市立一条高校校長に就任。
リクルート在職中に注文住宅・リフォーム情報誌の創刊に携わる。37歳から家族でヨーロッパに移住。自然豊かなロンドンの住宅やパリのペントハウスに住んだ経験を活かし、東京に家を建て、2016年4月より奈良市に91歳の父と85歳の母と同居。

「よのなかnet」藤原和博のデザインワーク
http://www.yononaka.net/

人生の教科書[家づくり]―筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480421623/
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