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老後の暮らしとお金のコラム60歳からの教科書『豊かな住まい方』

2017/11/02
人生のエネルギーカーブの話

このコラムの第3回(https://www.nomu.com/60/column/fujihara/3.html)で、下記のように人生90年時代に入ったことを述べた。
「平均寿命が40代だった1900年代(明治期)と比べて倍になったから、もはや1回の人生では生ききれない事態が起こっている。60~65歳で定年したとしても、あと30年あるからだ。」 
いや、もはや100歳を超えて生きる人も珍しくなくなるだろうと思う。

人生は「一山主義」から「連峰主義」

ここで、この、二度とない「30年」について、改めて考えてみよう。
30年というのは、1日24時間のうち寝ている時間を除いて15時間活動しているとすると、およそ16万時間残されていることになる。
自分の来し方を振り返って、まず30歳までに何をしたかを考えてみるといい。多くの人が学業を修め、会社や役所やお店で仕事を覚えたはずだ。その間に「青春」と呼ばれる心おどる体験を幾つも重ねてきた。

さらに、30代から60代への30年間はどうだっただろうか。仕事盛りの30代、40代、50代で一つの山を築き、同時に居を構え、子育てをされてきた方も多かろうと思う。その間に転勤で、異なる文化の中で生きた体験も重なっているかもしれない。
そのようにやりようによっては密度の濃い人生が、もう一かたまりの「30年」、待ち構えているのである。

ということは、人生全体を、富士山のような山を登って降りる「一山主義」のイメージでとらえていると間違うだろう。
そのことを示したのが図の「人生のエネルギーカーブの世代間の違い」だ。

これは、拙著『10年後、君に仕事はあるのか?』(https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478101884/yononakanet-22)の口絵に示して話題になったものだが、明治期を生きた「坂の上の雲」世代と、昭和平成を生きている現世代と、その子や孫世代の人生観の違いを表している。
「坂の上の雲」世代は平均寿命が40代だった。実際「坂の上の雲」の主人公の秋山真之(バルチック艦隊と戦った海軍参謀)も小説家の夏目漱石も49歳で亡くなった。40代で一仕事終えたら、あとは余生でよかったのだ。余談だが、全国の沿岸を測量し日本全図を著した伊能忠敬の仕事は、引退してからの余生のものだ。

その人生観を引き継いでしまって、現世代の多くが、まだ真ん中のような「富士山型一山主義」の人生をイメージしている。ところが、有難いことにもはや寿命が倍に伸びているから、後半のくだりの道が異様に長いことになる。
このままでは寂しい人生になってしまう。

だから、新世代(子や孫)だけでなく、私たちの世代の人生観も、一番下のように「八ヶ岳型連峰主義」に修正する必要がある。幾つもの山を連ねていく生き方だ。ただし、一つ目の山を登りきって降りようとするときに、自動的に次の山が「はい、登って下さい」と提供されるわけではないから、そこは注意が必要だ。

人生に新しい山並みと、その「裾野」を作ろう

一番下の図を注意深く見ればわかるように、メインの山(例えば現在の会社や役所勤め)を登っているときに、同時に左右に新しい山並みの「裾野」を準備しておかなければならない。50代だったら、主軸となる仕事の左右に、右に2本、左に2本くらい走らせて複線化を図ったほうがいい。具体的に言えば、コミュニティに参加したり、新しいコミュニティを作ったりする行為を指す。
人生を単線化せず、複線化することが、これから大事な武器になる。そのためには、コミュニティでどんな人たちとネットワークを築いていくかが鍵なのだ。

この「裾野」の作り方については、拙著『坂の上の坂』(https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4591126579/yononakanet-22)が参考になるはずだ。
例えば、子どもの小学校の地域コミュニティでもいいし、被災地支援のコミュニティでもいい。昔興味があった電車狂の鉄ちゃんコミュニティを復活させるのもいいし、会社勤めを機会に諦めた花や野菜作りの研究コミュニティに片足を突っ込むのもいいだろう。

私自身がテニスを始めたのは、中学の校長を退職した52歳の時だった。4月からすぐに近くのテニススクールに入会し、まず100レッスン通った。
1日に一時間半のレッスンを2回受けていたので、非常勤のコーチよりも長くコートに立っていたし、コーチ全員に当たったから、オーナーがそれぞれのコーチの評判や癖について私に尋ねてきたりもした(笑)。

こういうコミュニティで自分の居場所を確保したければ、一気に「中級」にまでなってしまうのがミソである。テニスの場合でも、そうでないとダブルスの試合をしてもミスばかりで「すいません、スイマセン!」と謝ってばかりになる。萎縮するからかえってミスを連発する。すると、自分自身も、相手になってもらうプレーヤーも双方が面白くないのだ。逆に、ダブルスの草試合に耐える中級にまでなってしまえば、「コート取れたんだけど、都合はどう?」と誘われるようになる。

今では、テニスのコミュニティだけで3つ以上あって、夏は八ヶ岳で合宿する。上級の友人の誘いで、元全日本チャンピオンが遊びに来てくれたりするようにもなった。現在、校長をしている一条高校でも、女子テニス部の練習に加わることがある。コーチでも顧問でもなく、ただただ一緒に練習する一部員としてである。男子のボールはとても打ち返せないから女子の練習に加わっているのだ(笑)。
高校生との交流にも、50代から身につけた技術が生きている。

何事も「1万時間」でマスターに

最後に「1万時間の法則」について触れておこうと思う。
人が何かをマスターするには1万時間かかるという話だ。長いなと感じるかもしれないが、1日に3時間取り組めば1年で1000時間になるから10年だ。1日6時間集中してできるのであれば5年で済む。あなたが全く喋れないロシア語を一念発起して今日から3時間ずつ学び続ければ、10年後には、自分が高校生の時に話していた日本語と同じくらいには話せるようになるだろう。実際、そのように、読者のすべては、20代、30代と経理や営業の仕事をマスターしてきたはずなのだ。
世界のどの国でも義務教育の期間がおよそ1万時間なのは、物覚えが悪くても、手先が器用でなくても、1万時間あれば、その国の国民を育てる時間として充分だと考えているからだろう。

一つの仕事でも趣味やスポーツでも、1万時間、つまり5年から10年あればマスターできるとわかれば、60代からでもあと3つから6つくらいは裾野から始めても「山」が作れることに納得がいくのではないだろうか。

だから、この30年の人生を形作るためのベースキャンプをどこにするか、現在の自宅だとすればどう改築しておくのか、あるいはセカンドハウスを持って人生の視点・視線・視座・視野を複数にしておくのかが大事になる。
仮に住居については何も変えない結論になったとしても、「自分は後半の30年間も、ここに住まうのか?」を自らに問いかけ、またパートナーと議論することは、後半の人生への覚悟を決める、またとない機会になるだろう。

執筆者:藤原和博

教育改革実践家/『人生の教科書[家づくり]』著者
1955年東京生まれ。東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、1993年よりヨーロッパ駐在、96年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。2008~2011年橋下大阪府知事特別顧問。14年武雄市特別顧問、2016年春から奈良市立一条高校校長に就任。
リクルート在職中に注文住宅・リフォーム情報誌の創刊に携わる。37歳から家族でヨーロッパに移住。自然豊かなロンドンの住宅やパリのペントハウスに住んだ経験を活かし、東京に家を建て、2016年4月より奈良市に91歳の父と85歳の母と同居。

「よのなかnet」藤原和博のデザインワーク
http://www.yononaka.net/

人生の教科書[家づくり]―筑摩書房
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480421623/
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