マンションはすでに90年を超える歴史があります。最初の民間分譲マンションの分譲からもすでに半世紀を超え、都市型の居住形態としてすっかり定着した感があります。その昔"ウサギ小屋"と言われた日本の居住水準を向上させるために、マンションにおいてもさまざまな努力や工夫が積み重ねられてきました。
我が国最初の民間分譲マンションは1956(昭和31)年、日本信販が売主の「四谷コーポラス」で、東京都新宿区に分譲されました。5階建てで総戸数28戸の小規模物件ながら、分譲価格は3LDKで230万円でした。現在「四谷コーポラス」には建て替え事業が進行中で、歴史の流れの速さを痛感します。以降数次にわたるマンションブームを振り返りながら時代ごとのマンションの特徴を見ていきましょう。
1962年にマンションの基本法とも言うべき「建物の区分所有等に関する法律」が制定されました。マンションの法的位置づけが明確になったとともに、その資産としての性格が確立したため、不動産担保の対象として住宅ローンを利用した購入が可能となるという大きな変革が起こりました。
また、1964年の東京オリンピックが景気刺激となりマンション開発が進み、国の持家政策の本格化とともに住宅都市整備公団(現:住宅・都市開発機構)を主な供給主体とした「団地型」のマンションが多く供給されました。その一方で民間分譲業主は利便性の高い東京都内で高級マンションを供給していました。
この時代の代表的なマンションは原宿駅前(渋谷区神宮前)の「コープオリンピア」(売主:東京コープ)でしょう。1964年分譲され当時の分譲価格は3,000万円から1億円です。この物件は日本の億ション第一号としても有名です。
この時代からマンションは分譲価格を下げて大衆化路線をとるようになります。高額所得者向けの高級マンションだけでは供給量は伸びませんから当然の選択であったと言えましょう。
この時期には杉並区荻窪や埼玉県川口市など都心近郊の立地に400万円から600万円程度の価格で50m2(2LDK)程度の広さの物件が多く供給されました。短期でありましたが3年間の住宅ローン付きというマンションが供給され始めたのもこの時期です。住宅金融公庫の融資制度が始まるのが1970年からですから、この住宅ロ-ン付き分譲は好評を得ました。
この時代の代表的なマンションは杉並区西荻北の「西荻フラワーマンション」(売主:長谷部建設)、「外苑前レジデンス」(売主:秀和)、「マンション南目黒苑」(売主:朝日建物)などで、いずれもその後のマンション供給の主流となる「1次取得者向け供給」を先取りしたものでした。
この頃のマンションはまだ狭く、和室中心の間取りが多く見られ、「西洋風長屋」と揶揄されることも多かったですが、給湯設備やバランス釜式風呂など当時としては最先端の技術が導入されていました。
田中角栄首相の「列島改造論」が不動産ブームを生み、土地に対する投資が始まったのがこの時期です。しかし1973年に「オイルショック」で世界的不況となり、いわゆる「狂乱物価」と言われる激しいインフレとトイレットペーパーなどの「品不足」を体験しました。
地価が高騰した影響で新築マンション平均価格が1973年には初めて1,000万円を超えました。しかし1970年から住宅金融公庫の融資制度がスタートし多くのマンションが適用を受け「公庫融資付き分譲マンション」として供給した結果全国で分譲戸数が15万戸(1973年)を超える供給ブームとなりました。
この時期の代表的なマンションは大田区田園調布の「ニューハイツ田園調布」(売主:東京建物、公庫融資付き物件)、「多摩ニュータウン」(供給主:住宅都市整備公団)などで、住宅ローン付きで低額でマンションが購入できるニュータウンが各地に開発されていったのもこの時期です。
この時代のマンションは洋風な間取りを取り入れたマンションが増えたという特徴があります。フローリングを主体とした室内構成や主寝室の設置が増加しています。また、耐震基準(旧耐震)が導入され防音性能も高まっています。
オイルショックにより不況からようやく脱しつつあったこの時期には、東京への通勤圏として神奈川県、埼玉県、千葉県の東京都に隣接するエリアにマンション供給が盛んに行われるようになりました。
「第2次オイルショック」という逆風の中で、職住近接をうたったマンションが戸建てよりも利便性に優れた面が評価され、数多く供給されました。また民間デベロッパーの大型開発が増加したのもこの頃です。
この時期の代表的なマンションは千葉県の「千葉ガーデンタウン」(売主:三井不動産、三菱地所、住友不動産)、東京都板橋区「サンシティ」(売主:三井不動産・旭化成)などで、都心近郊の東京まで30分圏内に大型面開発が盛んに行われました。この頃東京都の平均分譲価格は2,000万円を超えています。(1978年:2,021万円、1979年:2,362万円)
この時代のマンションは広い敷地面積を利用したコミュニティ設備や公園や緑地の設置が増加しています。また、オートロックの導入やオール電化マンションが供給し始められたのも特徴です。
この時期はいわゆるバブル経済下で地価が急激に高騰し、都心では10億円を超えるような超高級物件が供給され、1次取得者向けのファミリーマンションは郊外に展開されていました。また投資用のワンルームマンションの供給が増加しています。地価高騰のためキャピタルゲインが得られ、土地長者が納税額ランキングの上位を占める時代でした。
都内で高額物件を専門で扱うデベロッパーが登場する反面、割安感が強かった住宅都市整備公団の供給物件に人気が集中し、「光が丘ニュータウン」では抽選倍率が6000倍超と想像を絶する人気物件となりました。またマンションの超高層化が進んだのもこの時期からで、30階を超えるマンションが供給され話題となりました。
この時期の代表的なマンションは割安さで異常な人気物件となった東京都練馬区の「光が丘ニュータウン」(売主:住宅都市整備公団)、超高層物件の高級物件の東京都渋谷区「広尾ガーデンヒルズ」(売主:住友不動産、三井不動産、三菱地所、第一生命)などで、バリエーションに富んだ物件が供給されました。
中でも最高価格が17億9,500万円の東京都港区の「ドムス高輪」(売り主:ドムス)のような超高額物件の分譲(1988年)が不動産バブルの時代を象徴しています。
この時代のマンションは都心における高額化、ファミリーマンションの郊外化という傾向が顕著ですが、マンションスペックではいわゆる「バブル仕様」とわれる高性能化が進んでいることが大きな特徴です。
この時期はバブル経済崩壊後、地価が長期にわたって下落する中で地価が下がった東京都内に1次取得者向けマンションが戻っていくいわゆる「都心回帰現象」が起こりました。一気にマンション需要が高まりを見せ、首都圏の新築マンション分譲戸数が8万戸を超えるという大量供給が8年間という長い期間続きました。
バブルによる地価高騰の影響で郊外に拡散していたマンションが都心に近いエリアで安く購入できるということと、住宅金融公庫の融資額の拡大、低金利政策の実施でローン金利が2%程度に下がるなど好要因が重なり、賃貸の居住者がこぞってマンションを購入しました。
この時期の代表的なマンションは都心回帰が極まったと言える人気物件、東京都中央区の「パークタワー銀座」(売主:三菱地所・定期借地権物件)、当時最高階数を誇った55階建ての埼玉県川口市「ライオンズスクエアエルザタワー55」(売主:大京)、湾岸超高層タワー型物件の「東京ツインパークス」(売主:三菱地所、三井不動産 他)、都心一等地の超高級マンション「ザ・ハウス南麻布」(売主:野村不動産、ニチメン)などで、幅広いニーズを反映したさまざまな価格帯の物件が供給されました。
この時代のマンションは大規模化、超高層化という特徴が際立っていますが、高機能化(システムキッチン、耐震性能など)、高サービス化(コンシェルジェ、スポーツジムなど)、高安全化(防犯サービス、指紋認証キーなど)が進んでいることが大きな特徴です。
いわゆる「ミニバブル」や「ファンドバブル」といわれた価格高騰期に向かう2003年以降のマンションブームには、上昇に転じた都中心部の土地価格を反映した高額物件が都心部に多く供給され、さながら1990年を頂点とするバブル期の再来を感じさせる華やかかつ豪華な物件が多く供給されました。
1991年以降の長期デフレにより地価の下落が2000年まで継続、いわゆる「失われた10年」が人知れず終了したその時期に地価は反転、マンション価格も上昇に転じました。
この時代のマンションは外装の重厚感、内装の重々しさもさることながら、圧倒的な立地の優位性に特徴付けられていると言っても過言ではありません。
この時期の代表的なマンションは超高級物件復活の"のろし"的物件と言える、東京都千代田区の「パークマンション千鳥ヶ淵」(売主:三井不動産・分譲2003年)をはじめ、「プラウド赤坂氷川町」(売主:野村不動産、2006年)、「元麻布パークハウス」(売主:三菱地所、2007年)などで、いずれも超優良立地に供給され坪単価は600万円超。最高価格の部屋が新聞記事になるほどの価格と物件の豪華さが話題となったのです。
ハード面では超高層・タワー物件で多く取り入れられたワイドスパン型間取りやWIC(ウォークインクローゼット)、SIC(シューズインクローゼット)など収納スペックの向上や超高層の眺望を活かした「展望ラウンジ」などの時代背景を写したらラグジュアリーな設備が整った時代でした。
2011年3月の東日本大震災はマンションの耐震性能の高さを期せずして高めた結果となりました。2012年秋以降経済政策に対する期待感の高まりと株価の上昇、円安などによる建築コスト高と相俟ってマンション価格が再び上昇しました。ミニバブル期を超える大きな価格上昇が2012~2016年の間に起こっています。
この期間のマンションは再開発や複合開発など大がかりな街区の整備、駅前の大規模再開発に伴ったマンション供給が目立ち、よって駅近接物件が多く供給され、それが消費者の交通利便性への意識を高めるといった循環が起こりました。
この時期の代表的なマンションは湾岸エリアの大規模再開発の「THE TOKYO TOWERS」(売主:オリックス不動産、東急不動産)、「ブリリア有明スカイタワー」(売主:東京建物、他)、区役所との複合再開発物件の「Brillia Tower池袋」(売主:東京建物、他)また史上最高階数に達した西新宿の再開発物件「ザ・パークハウス西新宿タワー60」(売主:三菱地所レジデンス、相鉄不動産、丸紅)などが挙げられます。また大規模建て替え物件では「桜上水ガーデンズ」(売主:野村不動産、三井不動産レジデンシャル)などが話題となりました。
設備面では東日本大震災の教訓から免震と制震装置のハイブリッド耐震構造の導入、予備電源や備蓄倉庫の設置など災害対応能力の高いマンションが多く供給されています。
このように2003年以降はマンションの超高層化や耐震設備の導入や拡充なのハード・ソフト合わせ「安心」「安全」を謳ったマンションが増加した反面、以前ほど設備面の"進化"は急速には進んでいないように見えます。つまり2000年以降の分譲物件と現在の新築物件で設備面での大きな隔たりはなくなっているとも言えます。
1964年東京生まれ。89年マンションの業界団体に入社、以降不動産市場の調査・分析、団体活動に従事、01年株式会社東京カンテイ入社、現在市場調査部上席主任研究員、不動産マーケットの調査・研究、講演業務等を行う。
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