不動産投資コラム

投資という行為は、本来投下資本に対して、それ以上のリターンを期待するものです。不動産投資も同様にリターン、つまり利益を追求するものであることは間違いありません。
しかし、その一方で不動産の土地、建物は有限なものであり、特に国土の狭い日本にとっては、本当に貴重な社会資本でもあるのです。その限られた社会資本に対して、投資という行為によって最大限のリターンを引き出そうという努力は、限られた資源を最も有効に活用することにつながります。つまり、個々の不動産投資は新たな社会資本を作り出す行動でもあるのです。

今回は、ただ単に利益を追求するためのお話ではなく、あなたが行った、もしくはこれから行おうとしている不動産投資に、どんな社会的意義があるのかを具体的にお話ししていきます。

不動産は私有財産なのか

投資目的、個人使用目的を問わず不動産は「購入する」と言います。実際の不動産取引においては、所有権を買うことが不動産の購入に当たり、借地の売買などの借地権とは区別されています。

「所有権」は"所有"とありますから、所有権を買えばその不動産は自分のもの、つまり私有財産であると考えるのも無理はありません。
しかし私は本当に自分だけの私有財産だとするには、少し無理があるように思うのです。なぜ無理があるのか。私の考えをお話しましょう。

たとえば、不動産ではなく宝石を購入したとします。購入する際には、もちろんその代金が必要です。また現在でしたら商品価格以外に消費税5%が必要になります。

仮に100万円の宝石だったら消費税5%分も加わり、105万円を支払うことによってその宝石の持ち主となることができます。
この場合、宝石は完全に個人の持ち物、つまり私有財産です。箪笥の奥にしまおうが金庫に保管しようが、紛失や盗難に合わなければ永遠に(亡くなれば相続財産になりますが)個人のものです。

では、不動産はどうでしょう。たとえば土地を購入すると、土地の購入代金に加え、仲介手数料所有権移転・登記費用、そして後日、不動産取得税などを支払うことになります。
このように不動産の場合は、その購入代金以外にも様々な費用を支払うことになります。

購入代金とその諸費用は、購入時に一時的に支払う代金という点から、宝石を購入するときの代金と同様のものと考えても良いでしょう。
ということは、不動産も宝石を購入した場合と同様に、ずっと個人の持ち物として所有することができるのでしょうか。

そうではありませんね。毎年所有している不動産価値の一定割合の固定資産税を支払わなければなりません。
私有財産である宝石を持っていても毎年税金を払う必要はないのに、「所有権」を購入して自分のものだと思っている不動産のために、なぜ毎年の固定資産税を支払わなければならないのでしょうか。

不動産は誰のもの

その理由は不動産(その所有権)を購入したとしても、その所有者は不動産を"完全な"私有財産とすることはできないからなのではないでしょうか。

もし「この不動産は私が購入したのだから固定資産税は払う必要はない」と言って、支払いを拒否したらどうなりますか。滞納が重なればいつかその不動産は国に没収されてしまうでしょう。

つまり「所有権」といってもすべて自分のものではないのです。固定資産税を支払い続けてはじめて自分のものであると主張することができるだけなのです。

そうすると、こうも言えるのではないでしょうか。
不動産の購入(所有権の購入)とは固定資産税という名前の地代(建物の場合は家賃)を支払うことによって、継続的にその不動産を使用する権利を得ることなのではないかと。

この場合、固定資産税を受け取るのは国ですから、大家は国になるでしょう。また民間の貸借における借地料や家賃などに比べれば固定資産税は安いので、地代(家賃)というイメージになかなか結びつかないかもしれません。
でも、広く薄く確実に国が徴収している地代(家賃)と考えることが、妥当なのではないでしょうか。

つまり不動産は突き詰めて考えれば国のもので、所有権とは"その不動産を安く借りることのできる権利のこと"であるとも考えられます。

所有権をどう生かすのか

とはいえ、不動産は土地と建物に分かれています。建物にも固定資産税は発生しますが、その建物を取り壊せば固定資産税はゼロにすることができます。その土地に建物を建て、どう活用するのかは所有権を手にした側に主導権があるのです。

つまり、土地は所有権であっても国からの借り物だが、その土地をどう生かしていくのかは所有した側にフリーハンドがあるのです。

このフリーハンドを使い、元々その土地の所有権を持っている地主さんなどが、収益を上げることを目的に、マンションやアパート、店舗や事務所などを建てたり、収益目的ではなく自宅などを建てたりします。大規模になれば、日本有数の上場不動産会社が高層ビルを建てたり、世界的企業が自社ビルを建築したりしています。

このような多種多様な利用、様々な種類の不動産によって、郊外から大都市までの町並みが形成されています。その個々の不動産の多くは所有権であり、個人や企業の私有財産と考えられています。

しかし、元をたどれば"国から安く借りる権利を得ている土地"に依拠しているのです。

そうして"安く借りている土地"に最適な建物などが建てられ、有効活用されていれば、社会全体からみても不動産という社会資本は充実していきます。

たとえば更地に20階建のビルが建てば、使える面積は20倍になります。極論すれば土地を20倍に増やすことができたとも言えるのです。もちろん20倍にするには建物を建てなければなりませんので、建築費という投資に見合う収益性が必要になります。

それでも、この土地の所有者が"安く借りている土地"であるがために一定のリターンのみで良いと考え、20階建でなく3階建の投資しか行わない場合、その所有者自身がそのリターンのみで満足したとしても、土地も3倍にしかなりません。

つまり、社会資本の充実という観点からは、最大限の有効活用ができていない、ということなのです。これは所有者の利己的な怠慢なのではないでしょうか。なぜなら不動産は私有財産ではなく国から安く借りている公共物だからなのです。

不動産投資が経済を活性化する

では、不動産投資を理解し、本当にその土地の価値を最大限生かす投資家が出現したらどうなるでしょう。

例でお話した20階建が可能であるが、所有者の意向で3階建を計画している土地があるとします。投資家は所有者対して、3階建を建てた場合に得られると予想される収益を上回る価格でその土地を購入し、20階建を建てることによって、投資家も収益を上げることが可能になるかもしれません。

この場合、元の所有者には3階建の収益以上の対価を与え、土地を最大限に有効活用することに自らも収益を得、結果として社会資本も充実させることができるのです。

土地に建物を建てる一例としてお話しましたが、これは中古の収益物件にも言えることです。

たとえば、築20年の鉄筋コンクリートのマンションがあります。所有者はすでにローン支払も完了し、家賃から固定資産税を払えばすべて収入となるでしょう。
そのため、30室中10室が空室になるなどして空室率が大きくなっても、「入居させるには修繕費もかかる。当面お金に困ることはないからそのままにしておこう」と考えているかもしれません。

この所有者としては修繕をしないで20室からの家賃をもらう方が経済的にも合理的なのかもしれません。でも、そのマンションが個人資産とはいえ、少し手直しすれば十分使える部屋が10室も放置されているのは、社会資本の有効活用からすれば損失ではないでしょうか。

そこにこのマンションを有効活用できる、たとえば空いている10室にリフォームやコンバージョンを施し、入居者を確保できるスキルを持った投資家が現れたらどうなるでしょう。購入価格によっては所有者も満足し、投資家も収益を上げられる取引が実現するかもしれません。

所有者は売ることによって、投資家は買うことによって、そして投資家の行動が社会資本の充実につながることが、経済を活性化することになるのではないでしょうか。

不動産投資はマネーゲームのようなお金だけが動く投資ではありません。実物経済への投資であり、社会・経済を創造する投資なのです。そして、その投資は不動産という限られた社会資本を有効活用する最適な方法なのです。

不動産投資には志が必要なのではないでしょうか。

沢 孝史
沢 孝史

沢 孝史

1959年生まれ。サラリーマンとして勤めながら、不動産投資を開始。現在8棟のアパートとマンション2棟を所有、年間家賃収入は6,000万円となる。著書に、「不動産投資を始める前に読む本」(筑摩書房)他。

 

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