1.はじめに
世の中には「忘れたいこと」は少なくないでしょう。反対に「忘れてはいけないこと」もまた、数多くあります。
たとえば不動産の賃貸事業を行っている事業者の中には、創業当初に消費税の簡易課税制度選択届出書を税務署に提出して、消費税の事務負担を軽減しようと考えていた向きも少なくはないと思います。ただ業況が上向きで、消費税の本則課税で申告を続けている場合は、簡易課税を提出した昔のことは忘れがちなものです。
しかし、消費税の場合には、「忘れること」が税務上、許されないことがあります。今回は、消費税のトラブルの実例を紹介します。
2.事案の概要
この事案は、不動産の貸付等を主力とする不動産業者が30年近くも前に消費税の簡易課税制度選択届出書を提出していたことを忘れていたケースでトラブルになった事例です(東京地裁令和4年4月12日請求棄却、その後控訴棄却で確定)。
不動産業者は、ビルの建替え等で課税売上高が3,000万円弱となった基準期間に対応する課税期間について、簡易課税の適用を失念、本則課税の計算でおよそ2,500万円もの還付申告をしたところ、税務署から、その課税期間は簡易課税が強制適用されるとしておよそ480万円もの追徴を受けた事例です。
簡易課税制度とは、個人は前々年、法人は前々期間(基準期間)の課税売上高が5,000万円以下である場合、課税期間の消費税計算について、「本則課税」とは異なり課税売上高に係る消費税額に、「みなし仕入率」を乗じて納付すべき消費税額を求める方法です。みなし仕入率は、6つの事業区分ごとに決められており、不動産業は第6種事業で、みなし仕入率は40%とされています。
「本則課税」は、課税売上高に係る消費税額から課税仕入れにかる消費税額を控除して納付すべき消費税額を求める方法です。
簡易課税は、課税仕入れに係る消費税額を計算せずに済む点で、簡易といえます。
ただし、簡易課税を適用するには、適用したい課税期間前に所轄税務署に消費税簡易課税制度選択届出書を提出する必要があります。反対に簡易課税の適用を受けたくない課税期間については、その課税期間が始まる前に消費税簡易課税制度選択不適用届出書を提出するのがルールです。
判決によると、事実の経過は次のとおりです。
①不動産業者は、平成元年に「消費税簡易課税制度選択届出書」を税務署に提出していた。
②平成10年以降、売上高が高まり(5億円や2億円を超えたことはない)、消費税は「本則課税」で申告していた。
③平成20年頃、経理担当者の交代時に、売上が下がることが考えられず簡易課税の適用関係について引継ぎが行われなかった。
④課税期間の変更を行い、平成28年2月から平成29年1月の課税期間(問題の基準期間)とし、次に平成29年2月~同年3月31日までを1つの課税期間とし、次の課税期間を平成29年4月1日~平成30年3月31日(平成30年3月期・問題の課税期間)とした。
⑤基準期間中に、不動産業者は本社ビルの建替え等を行い、基準期間の課税売上高が3,000万円弱となり5,000万円を下回った。問題の課税期間は、本則課税計算で2,500万円ほどの還付申告をした。
⑥しかし税務署は、平成30年3月期の消費税につき、簡易課税を強制適用し、消費税等約480万円を追徴した。
3.裁判所の判断
東京地裁は、「事業者が事務負担の軽減を重視して簡易課税を選択し、やむを得ない事情がないのに提出期限までに消費税簡易課税制度選択不適用届出書を提出しなかった結果、ある課税期間の消費税額が、本則課税の場合に比べて予想以上に増加することが後に判明した場合であっても、遡って簡易課税の不適用を選択することができるわけではない」と説示しました。
そのうえで、東京地裁は「簡易課税制度選択届出書が提出されていることに気付かなかったこと」はやむを得ない事情に当たらないとして納税者の言い分を退けました。
建物の建替え等の実行に伴って、売上高が大幅に減少するなど変動が、事前に予測されることがあります。その場合には、消費税について再検討する必要があります。たとえば過去に簡易課税届出等をしていないかどうか、引継ぎにミスはないか等々。ミスをして「忘れたいこと」にしないためにもチェックはしておきたいものです。